第54章 記憶
信長様が記憶を失い安土へ帰還されてから数日が経ち、傍目には平常どおりの穏やかな日常が戻っていた。
今回、城の焼き討ちという厳しい始末を行った為か、一揆が各地に広がることもなく、織田の領地は落ち着きを取り戻していた。
信長様はといえば、相変わらず失われた記憶の部分が戻ることはなく、けれどもそれ以外の部分では以前と変わりなく、政務も滞りなくこなしておられた。
信長様が一部の記憶を失われていることは、秀吉さんら武将達とごく一部の家臣達にしか知らされていなかったけれど、信長様の言動がおかしかったのは安土へ帰還したあの日一日だけのことで、それ以降は表面上は完璧に元どおりに振る舞われており、変化に気付く者はいなかった。
あの日から、信長様は私と二人きりになるのを避けておられるのか、夜もかなり更けてからでないと天主に戻られなくなった。
交わすのは必要最低限の会話のみ、もちろん触れることもなさらない。
何よりも…信長様は一度も私の名前を呼んでくださらないのだ。
あんなにも愛おしげに何度も呼んでくださっていたのに………
このままではいけない、と私は今、焦っている。
(このまま避け続けられたら、思い出すものも思い出せないじゃないっ…何とかしないと…)
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「信長様っ!お帰りなさいませっ」
深夜遅く天主へ戻られた信長様に声を掛けると、信長様は、見るからに驚いた様子を隠さずにジロリと私を見る。
「……貴様、まだ起きていたのか?」
「はいっ!お帰りをお待ちしておりました。今日もお疲れ様でした」
「…っ…ああ…」
気まずそうに目線を逸らし、それ以上話そうとなさらない、そのよそよそしい態度に傷つきながらも、平静を装って話しかける。
「…信長様…私を避けていらっしゃいますよね?」
「っ…」
「私、貴方に私のことを思い出して欲しい…だから避けないで、私と向き合って欲しいのです。
………信長様、私と賭けをしませんか?」
「賭け…だと…?」
「私が貴方の記憶を取り戻し、私のことを思い出させてみせます。もし出来なければ……私のこと、どのようにしてくださっても構いません…貴方が望むなら、っ……離縁されても……」