第53章 業炎
「……朱里…」
優しく気遣うような声色と頬にふわっと触れられる感触に、ハッとなって目を瞬く。
「…っ…あ…」
私の膝の上に頭を委ねて横になり、下から頬に優しく手を伸ばす信長様の姿に、物想いに沈んでいた意識がゆっくりと浮上する。
(いけない…私、ぼんやりしてしまって…)
いつものように天主で親子三人で夕餉をとって、結華と湯浴みを済ませてから天主に戻った私に、信長様はいつものように膝枕を所望された。
いつもどおりの幸せな時間
満ち足りた二人だけの甘い時間
何も変わらない………そう思っていた。
「…明日はお早いのでしょう?もう褥で休まれますか?」
「……ん、もう少しこのまま…膝を貸せ」
そう言うと信長様は、私のお腹の辺りに顔を埋めるように伏せる。私はそれが何だかくすぐったくて…子供のような仕草をなさる信長様が可愛くて、その頭にそっと手を置いて髪を優しく撫でた。
明日の朝……信長様は越前に向けて出陣なされる。
光秀さんの探索によると、越前で一向宗の一揆の兆しがあり、旧浅井朝倉の家臣達もそれに加わっているという。
兵力に差があり、大きな戦にはならないだろう、と秀吉さんからは聞いていたが、やはり心配だ。
(一向宗に浅井朝倉…信長様に私怨を抱く者達。
信長様の悲願である天下布武が成し遂げられ、戦はなくなったはずなのに……怨みの連鎖はどうあっても断ち切れないものなのだろうか…)
大望の為、己の手を血に濡らし、平和な世の中を造る為にひたすらに前だけ向いて進んできた信長様。
時には、非情な決断や周りからは残虐と思われる行為もなさってきた。
その業を全て背負う覚悟は出来ていると言わんばかりに、数多の人に怨まれることをも受け入れておられるようだった。
(私も…信長様の業を一緒に背負う覚悟をしたはずなのに……こんなにも心が乱れるなんて…)
「……そんな顔をするな。一揆などすぐに鎮めて戻る。案ずるでない」
「っ…はい…」
それでも固い表情を崩さない私を見て、信長様は口元に少し悲しげな笑みを浮かべると、徐に身体を起こし、正面から向かい合ってしっかりと目線を合わせて語りかけてこられるのだった。