第42章 甘い誘惑
元就はそれだけ言うと部屋を出ていった。
私を攫ってこの船の船室に閉じ込めてから、時折ふらっと現れては、さっきのように話をしたり、戯れに身体に触れたりしてくる。
(これ以上触れられたら……もしお腹に子供がいるって知られたら…信長様の御子だもの…ただで済むとは思えない。絶対に知られるわけにはいかない…)
お腹にそっと手をあてて、ゆっくりと撫でさする。
まだ何の反応も示さないお腹の子の様子に不安が募る。
やっぱりあの眠り薬はよくなかったのか……
慣れない船の揺れが身体をおかしくしているのだろうか……
目に見えない不安に心が弱って押し潰されそうになる。
信長様に会いたい。
抱き締めて『大丈夫だ』だと言って欲しい。
「…信長様…」
片方だけになってしまった耳飾りに触れる。
元就は、耳飾りと私の髪を信長様に送りつけると言っていた。
きっとすごく心配かけてる。
信長様の足枷にはなりたくないのに……何もできない自分が情けなくて悔しい。
この子だけは何があっても守らなくちゃ…この子には今、私しかいないんだから……
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部屋を出た元就は甲板に出て、目前に広がる穏やかな海を見る。
瀬戸内の海は晴れ間も多く、波も穏やかで航行しやすい。
今頃は、四国でも長宗我部が兵を挙げて海上封鎖を行なっているはずで、織田の追手も易々とは瀬戸内海へは入れないはずだ。
(まあ、織田の水軍なんざ、大砲で木端微塵にしてやるだけだがよ)
先の戦で毛利は織田に敗北した。家臣達は散り散りになり、俺は異国船で秘かにこの国を出て、海賊働きをするようになった。
織田信長…小領主の寄せ集めだった尾張国をまとめて、瞬く間に畿内を統一した男。その手腕は苛烈を極め、人は奴を『第六天魔王』と呼ぶ。
俺はこの破天荒な男に俄然興味を惹かれ、一戦交えたいと思っていたのだが、信長は先の毛利との戦には出陣せず、豊臣秀吉が総大将だった。
だが、此度の戦では、奴は必ず自ら先陣を切るだろう。
自らの寵妃である、あの女を取り戻す為に…
信長が、溺れるほどに寵愛している美姫が安土にいると、堺でも評判になっていた。
魔王が溺れるほどの女
その女を目の前で奪ってやったら、魔王はどんな顔をするだろう。
想像するだけで血が沸き立つように興奮する。
早く来い、信長。