第26章 本能寺
京〜本能寺にて
信長は京に来てから何度目かの参内を終えて、宿舎である本能寺に戻ったところだった。
「御館様、お疲れ様でございました。
なんとか上手く話がついて良かったですね」
秀吉が信長の正装の装束の着替えを手伝いながら、労いの言葉をかける。
「ふっ、まさか帝があれほどこの俺の縁組にご執心とは思わなんだぞ。
官位の件もだが、予想外に時間を取ったな。
明日の朝、京を発つ。準備をしておけ。
……小田原の朱里からは何か便りはあったか?
家康は何をしているっ!」
眉間に皺が寄り始める信長を慌てて宥める。
「落ち着いて下さいっ、御館様。
……もしかして、御館様も小田原に行こうとか思ってませんよね?」
「………………」
「駄目ですよっ!
ご上洛でお疲れなのですから、安土に戻られたら少しお休みになられませんとっ。
朱里のことが心配なのは分かりますけど……」
心配性の秀吉の小言を受け流し、下がらせると、宿舎の部屋で一人になる。
想うのは朱里のこと。
まさか俺の居ぬ間に、俺の手元から離れることになるとは思ってもいなかった。
いかに母親の病の為とはいえ……遠く離れてしまったことに言い知れぬ不安が広がる。
早く逢いたい。
一刻も早くこの手に抱かねば、落ち着かん。
朱里、貴様が足りぬ。
「……御館様」
「光秀か、入れ」
入ってきた光秀の表情はどことなく険しく、常の飄々とした態度が見受けられない。
「……何かあったか?」
「家康から急ぎの知らせが……よくない知らせですが」
光秀が差し出した文を急いで広げ、読んでいくうちに、思いもよらない内容に怒りが込み上げてくる。
北条め、卑劣な手を使いおって…
腹の中は怒りで煮えくり返っているが、その反面、頭の中は恐ろしく冷静な自分がいた。
「……光秀、やるべきことは分かっていような?」
「はっ、直ちに手配を致します。
……御館様、大丈夫ですか?」
光秀の探るような、且つ、心配そうな視線に思わず苦笑いする。
俺の左腕は、ほんに優秀よな……俺の心まで読めるとは。
「つまらぬ心配はいらぬ。
直ちに仕事にかかれ」