第115章 紀州動乱
次の瞬間…
ガッッ!!
力任せに刃を弾き上げ、光秀は一歩踏み込んだ。
「……面白いことを言う」
激しく続く迫り合いにも息を乱すことなく、光秀は低く笑う。
退位の詔を見ても動揺する様子は見受けられない。
「だが……」
光秀の鋭い突きが元就の頬を掠め、鮮血が飛ぶ。
「はたしてそれは本物と言えるのか?帝を脅して書かせた偽りの詔で天下を白紙に戻せると思っているのか?仮に本物であったとしても…その白紙に新たな秩序を描くのは、貴殿ではない」
血の線が一筋、頬を伝う。元就は顔色一つ変えることなく、くつくつと喉奥で低く笑った。
「言うじゃねぇか…信長の犬が!」
「主が天下を望むなら道を切り拓くのが俺の仕事だ」
「はっ、大層な忠犬ぶりだな。だが、忠実な犬が主を失えばどうなるか知ってるか?」
「……」
「帝は退位して天下は白紙に戻り、信長はこの世から消える。主を失った哀れな犬は野に放たれて野垂れ死ぬのオチだ」
元就は肩を揺らして愉しげに笑った。
御所の奥、静まり返った廊下にその笑いが高らかに響く。
対する光秀は、己を犬と揶揄され、挑発するような元就の笑いにも僅かに目を細めただけだった。
「……言いたいことはそれだけか?」
「化かし合いは終いだ。今頃、信長はあの世だ。雑賀孫一の鉄砲に撃ち抜かれてな」
一瞬の沈黙の後、光秀の口元が歪み、小さく笑い声が溢れる。
「……何が可笑しい?」
「くくっ…いや、なに、貴殿は意外に『織田信長という男』を知らぬらしい」
光秀は元就に向かって一歩、歩を進める。
「主が死ぬ?その程度の策で?」
「策は十分だ。孫一の狙撃の腕は日ノ本一だ。お前もよく知っているだろう。天王寺での戦いでも奴は信長に深傷を負わせてる」
光秀はゆっくりと目を細めた。
「あぁ…存じているとも」
そしてまた一歩、間合いを詰める。
「だからこそ分かる」
声音が、氷のように冷たく落ちる。
「主は鉄砲玉が当たった程度では死なぬ御方だとな」
更にまた一歩…
「貴殿ごときが描いた、そんなつまらぬ筋書きどおりに死ぬような御方ではない」
光秀はゆったりと剣を構え直す。
その刃先は真っ直ぐに元就の喉元を捉えていた。
「織田信長は死なぬ」
金色の瞳が鋭く細められる。
「主が死なぬ限り――
その行く手を阻む者は、誰であろうと容赦はしない」
