第115章 紀州動乱
愛刀『一期一振』を振るう秀吉の気魄は凄まじく、一騎当千の奮闘で敵を次々に斬り伏せていく。
そのうちに遅れていた馬廻りの兵なども追い付いて来て、その勢いのままに門徒勢の包囲をじりじりと押し返していく。
「秀吉、一度戻れ」
入り乱れる陣形の中で一人突出した形で敵に囲まれる秀吉に、自身も襲い来る敵を次々に斬り伏せながら信長が声を掛ける。
「このぐらい俺一人で充分ですよ。一息に蹴散らしてみせます。御館様こそお下がり下さい」
無数の返り血を浴びた甲冑は赤黒く染まり、刀を握る手も血塗れていたが気にはならない。
怨嗟の声のような念仏を唱えながら仲間の死屍を諸共せずに踏み越えてくる門徒勢の姿は異様ではあったが、恐ろしいとは思わなかった。
「たわけ。ならば早々にカタを付けるぞ。穴蔵に隠れた蛇を引き摺り出せ」
「はっ!」
「うおぉぉ!」
信長主従の激しい戦いぶりに鼓舞された織田軍の猛攻により、門徒勢の隊列が綻び始める。
『南無阿弥陀仏』と書かれた旗が引き倒され、乱闘の中で無惨に踏み荒らされていく。
門徒勢の多くは訓練を受けた兵ではなかったが、相手が戦に不慣れな民百姓であっても信長に一切の容赦はなかった。
刃向かう者は一人の例外なく斬り伏せ、道を切り開いて行く。
「相変わらずだな。人を人とも思わぬ残虐さ…これまさに鬼の所業なり。貴様のような血も涙もない非情な者が人の上に立つなど、あってはならんことだ」
シャンっ…と、殺伐とした戦場に似つかわしくない澄んだ音色が響き、信長の前に立ち塞がっていた門徒達の動きが止まる。
「顕如様っ!」「法主様っ!」
「やはり現れたか、顕如」
「信長、この世の全てを己が思い通りにしようとする傲岸不遜な男よ。貴様の強欲のせいで失われた数多の尊き命の重さ…思い知るがよい!」
言うや否や、風を切る音とともに顕如の仕込錫杖の鋭い刃が信長の頬を掠める。
「御館様っ…」
「大事ない、秀吉。ふっ…念仏三昧の日々を送っていると聞いていたが、腕は鈍ってないようだな」
「無惨に死んでいった同胞達の菩提を弔うのが残された者の勤めと思い、ひたすらに祈る日々であった。だが、人の命を軽んずる貴様の作る世は平穏とは程遠いと分かったのだ。数多の命の犠牲の上に成り立つ平和な世など、御仏が許されようはずがない!」