第115章 紀州動乱
黒雲が風に押されて流れている。
湿った風が足元の草原を揺らすのを気にも止めず、孫一は黙したままで火縄銃の手入れを続けていた。
手入れといっても、さほど難しいものではない。
まず鉄でできた銃身を木製の銃床から取り外し、次にその銃身の底を塞いでいる螺子型の尾栓を抜く。
尾栓を抜いた銃身は筒状になっており、そこへ湯を注ぐ。
湯で銃身に詰まった硫黄や木炭のカスを溶かして内部の汚れを落とすのである。
その後は、汚れが落ちた銃身の内を油で磨き上げれば手入れは終わりである。
数々の戦場を渡り歩いてきた雑賀衆の頭領は表情を変えることなく慣れた手つきで愛用の火縄銃を磨いていた。
今日の初戦で毛利軍は苦戦を強いられたが、孫一が率いる雑賀衆の者にはさしたる被害はなかった。
雑賀の鉄砲衆は遠方より敵方の大将格の者を狙い定めて撃つため、末端の足軽達のように敵味方入り乱れての接近戦になることは少ない。
狙撃手としての腕が認められた雑賀衆は、多くの大名家に雇われては各地を渡り歩く少数精鋭の部隊であった。
『雑賀を味方にすれば必ず勝ち、敵に回せば必ず負ける』
この時代、実際によく言われていたことだ。
特定の主を持たず、金で雇われればどこへでも行く彼らには敵味方という概念はなく、目の前の標的をただ撃ち果たすことが彼らに課された使命であった。今日、共に戦った者が明日は敵となり刃を向けて来ることもある。その逆もまた然り、そこに特別な感情を抱くことはなかった。
己の腕だけを頼りに乱世を生き抜く。それが雑賀の里に生まれた者が歩む道であった。
特定の主君を持たぬ雑賀衆だが、その結束は堅かった。
鉄砲の腕一つで身を立てて各々別々の道を行きながらも、最後は里に戻り里を守るのが暗黙の掟であった。
(一度手放しはしたが、雑賀の地は我らのものだ。父祖の代より自らの力で守って来た我らが戻る唯一の場所だ。誰が天下を治めようとも構わぬが、雑賀の地を他所者の好き勝手にはさせぬ。織田に恨みはないし信長がどうなろうと知ったことではない。戦を楽しむ元就のような軽薄な男は好かぬが、乱世を継続することは我ら雑賀衆にとっても益になる)
この日ノ本で戦が続く限り、雑賀の力は必要とされるのだ。
手入れの終わった銃を構え、目に見えぬ敵に狙いを定めるかのように孫一は前方を険しく見据えた。
