第115章 紀州動乱
合戦場となる平原、それを囲む丘陵や山々を人馬の足音が揺らしている。
本陣では信長を中心に武将達が集まり、軍議が開かれていた。
「各陣営、敵の動きを読みつつ、熟考して陣を敷いている様子です」
信長の前には地形図が広げられ、三成が次々と入ってくる斥候からの知らせを受けて、各陣営の陣立てを図面上に示していく。
武将達をはじめ、未端の兵士に至るまで、これが正念場だ、と誰しもが察していた。
張り詰めた緊張感と熱を帯びた高揚感が辺りを包み込み、極限まで高められようとしていた。
「一向衆の…顕如の動きは?」
斥候からの報告を聞きながら無言で図面上を睨んでいた信長は、その手の内で黒い駒を弄びながら問うた。
「先立って、以前より鷺森へ潜入させていた者からの連絡が途絶えました。恐らくもう…生きてはおらぬかと」
「っ……」
表情を変えることなく淡々と告げる光秀の言葉に、武将達は複雑そうな表情を見せる。
そんな中、信長だけは光秀と同様に眉一つ動かさず、広げられた地形図を鋭い視線で睨んでいる。
「顕如の所在を探れ。彼奴は必ずこの決戦の場に現れる。彼の地で大人しく念仏でも唱えておれば見逃してやったものを…天下泰平の世を乱す者は誰であろうと許さぬ。たとえそれが人の道に外れたものであったとしても、俺の道行きを阻む者は何人であろうと排除するのみだ」
「御意」
決意の籠った信長の言葉に短く答えた光秀は、身を翻してその場を離れる。
立ち去る光秀の後姿を何とも言えない表情で見送ってから、秀吉は言い難そうに口を開く。
「信長様、顕如がこの決戦の場に現れるということは…その、蘭丸も一緒で…」
「で、あろうな。彼奴は顕如を裏切らぬ…いや、裏切れぬであろう。蘭丸にとっての顕如は己を導く師であるとともに親にも近しい存在だからな」
「くっ…」
淡々と言い切る信長とは反対に秀吉は苦しそうに表情を歪める。
かつては共に信長を主君と仰いだ仲間であり、裏切りを知った時も今も秀吉は蘭丸を憎む気持ちにはなれなかった。
(甘いと言われるかも知れないが、俺は蘭丸の御館様への忠義に偽りはなかったと思っている。あいつが正体を明かし顕如の元へ去った今でもその思いは変わらない。あいつが俺達を謀っていたなんて信じられない。蘭丸を敵だとは思えない俺は、あいつが再び俺達の前に現れた時、どうするべきなんだろうか)
