第115章 紀州動乱
蒸し暑さの残る夏の夜
湿気を帯びて熱が籠り、息苦しく感じるほどの空気が肌に纏わりつく。
雨雲が近づいているのか、微かに重い雷鳴のような音が遠くに聞こえていた。
(っ…んっ…)
突如身体の上にずしりとした重みを感じて、自分でも無意識のうちに眉を顰めていた。身動ぐこともできぬ圧迫感を感じ、意識が混乱を覚えて思考が空回る。
(急にどうして…っ、動けない…)
声を上げようとするものの、まるで金縛りにあったかのように唇さえも開けない。胸元にいきなりドンっと重石を乗せられたかのように息が詰まって胸苦しいのだ。
夢か現か分からぬまま必死に手足を動かしてみるが、果たして思い通りに動いているのかさえも分からなかった。
(ひっ…うっ…)
行燈の灯りも消えた漆黒の闇の中で突如、真夏に似つかわしくないヒヤリと冷たい感触を喉元に感じて、ぞわっと肌が泡立った。
その感触が何者かの手だと朱里が認識した直後、それは夜着の襟元をゆるりと乱し、首筋をやんわりと撫でてきた。
冷えた指先が鎖骨に触れ、その形を確かめるようになぞっていく。
艶めかしい仕草だが、心地良さなどは微塵も感じられず、それどころか何とも言えないおぞましさを感じるばかりであった。
(やっ…いや…)
抗いたくても手足はピクリとも動かず、声も出せない。どうにもならない焦りが更に思考を混乱させ、心の臓が煩いぐらいに早鐘を打っていた。
そんな自分を嘲笑うかのように、首筋を這っていた手はググッと力を込めて華奢な細首を押さえつけてくる。
一瞬にして息が出来なくなり、朱里の顔が苦悶に歪む。得体の知れない者による明確な殺意をひしひしと感じ、死の恐怖がじわりと間近に迫る。
(くっ…苦しいっ…誰が…どうして…?)
遠くに聞こえていた雷鳴はいつの間にかすぐ近くまで迫っていたようで、ゴロゴロという巨石が地を転がるような不気味な音とともに天を切り裂くように稲光りがギラリと闇に煌めいていた。
不意に、耳を聾(ろう)さんばかりの一際大きな雷鳴が轟き、障子を通して青白い稲光りが室内へと射し込んだ。暗闇が裂け、光が走ったその一瞬、目の前が真昼の如くぱっと明るくなった。
息苦しさの中、ハッとして目を見開いた朱里が見たものは……
目も眩むような稲妻に照らされて己を冷ややかに見下ろす深紅の瞳だった。