第110章 魔王の霍乱
「此度の流行り病、結果的には犠牲者は最小限で済んだが、薬が足りていれば救えた命があったことも事実だ。限られた材料と時間で薬を作ることに尽力した家康と貴様の功績は大きいが、薬草がもっと豊富にあれば、と歯痒い思いもしたことであろう。病はいつ起こるか予測できぬ。常時、薬の備えがあれば、急な流行にも対応できる。万が一の時に備えて策を講じておくのは政を行う者の責務だからな。この日ノ本に生きる民の命を守るのが天下を統べる者が真に為すべきことだ」
「信長様…」
「自生する薬草が足りぬなら育てればよい。南蛮のものが日ノ本のものよりも優れているなら、それを取り入れればよい。簡単なことだ」
そよぐ風に揺れている薬草を見ながら信長は何でもないことのように言う。
言うは易いが、これほどの規模でそれを実現することは誰もができることではなく、信長の実行力の高さを改めて実感する。
「今はまだ薬は高価なもので限られた者しか手に入らぬが、作れる量が増えれば流通量も増え、自ずと値も下がる。さすれば民達にも手に入りやすくなるはずだ。全ての民を救えるわけではないが、薬が潤沢にあれば戦や病で命を落とす者も少なくなるだろう」
「そうですね。一人でも多くの者が安心して暮らせる世になるように…私も自分にできることをしたいと思います。信長様、私にも何か手伝わせて頂けませんか?」
「ふっ…貴様はそう言うだろうと思っていた。俺は薬草については貴様ほど詳しくはない。この薬草園の管理は家康に任せている。家康を手伝ってやれ。但し、無理はするなよ。貴様が薬の世話になるようでは困る」
「ふふ…分かりました、無理はしません。お約束します」
人を救わんとする者は己も強くあらねばならない。己の力を知り、己の限界を理解していなければ、他人の命を救うことなどできないのだ。
(この薬草園が日ノ本に住まう民を一人でも多く救えますように…戦や病で命を落とす者がなくなりますように…)
信長と並んで力強く大地に根を張る薬草を眺めながら、日ノ本の民達の穏やかな暮らしを守るべく朱里は決意を新たにするのだった。