第110章 魔王の霍乱
「信長様?」
心配そうに呼びかける朱里の声を、布団の中に潜り込んだまま敢えて聞こえぬふりをした。
自分でも子供じみた態度だと思いはしたが、熱で身体が辛いこともあり晴れぬ気持ちを抑えられなかった。
朱里の困り顔が目に浮かんだが、さりとてこうして背を向けてしまった手前、今更どう繕いようもなかった。
熱による気怠さに抗えず微睡みの中に落ちてから、次に目覚めた時に朱里は信長の傍にいなかった。
家康に薬を頼みに行くと言っていたから、信長が眠った後に出て行ったのだろうとすぐに想像はついたが、何故だか心が酷くさざなみ立った。
(らしくもなくこれ程に頼りない気持ちになることなど…これはきっとこの熱のせいだ。病で気弱になるなど俺らしくもない)
「信長様…」
遠慮がちに呼びかける声とともに、朱里の手が布団の上からそっと信長の身体に触れる。
軽く触れられただけなのに心の臓が煩いぐらいに早鐘を打ち始め、それに気付かれぬように平静を装って身を固くした。
「信長様…ごめんなさい」
「………」
(何故謝る?こやつが謝ることなど何も…いや、俺がそうさせているのか…?)
背を向けているので朱里の表情は窺い知れないが、その声色は明らかに沈んでいるように思われた。途端に、大人げない己の振る舞いに後悔の念が押し寄せる。朱里を悲しませるつもりなどなかったのに……
「ゆっくりお休みになって下さいね。私、もうどこにも行きません。ずっとお傍にいますから」
「っ……」
背を摩る優しい手の感触に、さざなみ立った心がゆっくりと凪いでいくようだった。
眠くはなかったはずなのに無意識に眸を閉じ、満ちていく幸福感に抗うことなく身を委ねた。
次に目覚める時には、きっともう虚しくなどないだろう。
愛する者が傍にいてくれる…その何にも代え難い幸福を噛み締めながら、信長は次第に訪れる微睡みの中に再び身を委ねていったのだった。