第109章 光秀の閨房指南ー其の弐
京から大坂へ帰城した日の翌朝、身も心も存分に満ち足りて目覚め、いつもどおりすっきりと身支度を整えた信長は、大広間でなく天主で家族水入らずでの朝餉を取ることを提案した。
昨夜は遅い時間の帰城であったため既に眠っていた子供達の顔を見ることは叶わず、今日からは長らく城を空けていたせいで滞っていた政務も片付けねばならず、忙しくなることは明白であった。ようやく帰城できたといっても子らとゆっくり過ごせる時間が取れるとは到底思えなかった。
それゆえに朝の僅かなひと時でも共に過ごせればと思い、子供達を天主に呼ぶよう命じたのだった。
朱里は信長のその提案に嬉しそうに顔を綻ばせて、いそいそと子供達を迎えに行き、一人天主に残った信長は久方ぶりの自室でゆったりと脇息に身を預けていた。
信長がチラリと向けた目線の先には、美しい色合いの和紙に包まれた大小様々な箱があった。それは信長が京から持ち帰った土産物の数々であり、朱里や子供達の喜ぶ顔を思い浮かべながら信長が自ら選んだものだった。
最初は一つ二つ見繕って終いにするつもりであったのだが、見ている内にあれもこれもと手が伸びてしまい、物に執着のない信長にしては珍しくいつの間にやら大量の品を買い求めていたのだった。
(我ながら朱里や子供らへの物となるとつい見境がなくなるな。これはまた朱里に呆れられるか…それにしてもこの俺が子供のための贈り物選びに時を費やす日が来ようとはな。人とは変われば変わるものだ)
信長はふっと口元に穏やかな笑みを浮かべる。
第六天魔王と畏怖され、その表情の僅かな変化ですら周りの者を恐れ慄かせる男がこの世で最も愛すべき存在の者たちを思い浮かべていたその時、トントンっと軽快に階段を駆け上がってくる小さな足音が聞こえてきた。
(……来たか)
足音の主に気付いた信長は、くくっ…と喉奥で愉しげな笑い声を溢す。
「父上っ、お帰りなさい!」
「ちちっ、おかえり!」
スパンっと勢いよく襖が開かれたかと思うと、結華と吉法師の賑やかな声が天主に響き渡った。
結華は姉らしく小さな弟の手を引いている。朝の早い時間だというのに二人とも元気いっぱいで、脇息にゆったりと凭れた堂々たる父親の姿を見て一直線に駆け寄って来る。
信長は久しぶりに顔を合わせた子供らの輝くばかりの笑顔に相好を崩す。
(やはり子供の笑顔というのは…格別だな)