第104章 魅惑の果実
越後への視察の旅から戻り、信長様はまた政務に追われる日々を送られていた。
今年は梅雨明けの後、雨が少なく、織田の領地でも作物の出来に影響が出ているようだった。
各地から毎日上がる報告に目を通し、時には自ら村々の様子を見て回られる。
休む間もない忙しさに、体調を崩されないかと心配になるが、信長様自身は少しも疲れた様子を見せられないのだ。
(それがかえって心配になるのだけれど…)
今も休憩にとお茶と南蛮菓子を持っていったのだが、執務室は書類が山のように溢れかえっていて、足の踏み場もなかった。
几帳面な信長様にしては珍しく、乱雑な有り様だった。
どうやら、長らく城を留守にしていたせいで、信長様の決裁が必要な書類が溜まっているらしい。
留守の間の政務は、急ぎのものは秀吉さんが取り仕切ってくれていたが、やはり信長様のご判断を仰がねばならないものは必然的に溜まっていったようで……
ここ数日は、文字通り寝る間も惜しんで溜まった政務を片付けておられるのだった。
(忙しくても民達の訴えには常に真摯に向き合われる方だから…)
信長様の志は高く、私も見習わねばと思うけれど……毎日、夜明け前から起き出して夜も更けてからしか戻られない信長様と、私はすれ違ってばかりだった。
越後への旅での蜜月が嘘のように、触れ合うどころか顔も合わせられない日々を送っている。
(はぁ…今日もほとんどお話できなかったな。お仕事の邪魔はしたくないけど、やっぱりちょっと淋しい…)
先程も、あまりに忙しそうなご様子に気が引けてお茶だけ置いて出て来たので、碌に話もできなかったのだ。
常ならば手を止めて一緒にお茶をして下さるところだが、今日は書類を捲る手を止めることなく『そこに置いてくれ』と言われてしまった。
きっと休憩を取る間も惜しいのだろう。あの様子ではお茶も飲んで下さったかどうか…心許ない限りだ。
(こんなに忙しいとお身体も心配だわ。毎日ほとんど寝てらっしゃらないみたいだし…いくら信長様でも少しはお休みにならないと…)
「う〜ん…秀吉さんに相談してみようかな」
人一倍信長様の体調に気を使っている秀吉さんなら、同じように心配しているはず…そう思った私は秀吉さんに相談することにした。