第102章 薫風に泳ぐ
五月、新緑の季節となり、草木の生い茂る青々とした色合いが目にも鮮やかな今日この頃、私は城下の学問所に来ていた。
「朱里先生、出来ました!」
「はい。うん、大きく綺麗に書けたね」
「先生、私のも見て!」
「わぁ…たくさん書いたね。一つ一つ、丁寧に書けてるよ」
「せんせ〜い!」
次々と、教室の彼方此方から声が掛かって、大忙しだ。
(皆、本当に熱心に読み書きを覚えようとしている。誰もが生き生きと楽しそうで…子供達の成長を日々感じられる。学問所を作って本当によかった)
午後の短い時間だけだが、子供達の勉学の手助けができることに朱里はやりがいを感じていた。
学問所に通って来ているのは結華と同じ歳ぐらいの子供達であり、彼らが熱心に学ぶ姿を見ていると、我が子のことのように嬉しく思えてくるのだ。
(欲を言えば、もっと長く学問所の手伝いができればいいんだけど…そういうわけにはいかないよね。結華や吉法師の世話もあるし、奥向きの差配もしないといけないから、長くお城を空けることはできない。学問所へ通うようになって、以前より忙しくなってしまったけど、それでも毎日がとても楽しい)
妻として母としての役割とは別のやりがいを見つけることができた今、毎日がとても充実していた。
子供達と過ごす時間はあっという間に過ぎていき、気が付けばお城へ戻る時間になっていた。
帰り支度をして学問所を出て、城へと続く大通りを歩く。
「奥方様、もうお城へお戻りですか?」
「新作の菓子が出来たので、お土産にどうですか?」
午後のゆったりとした時間帯は城下の人出も多くはなく、護衛の家臣と二人で歩いていると、朱里の姿を見た商人達が店先から次々と親しげに声を掛ける。
学問所の手伝いに通うようになって、城下へ行く頻度も格段に増え、こうして町の人達と会う機会も多くなっていた。
以前なら信長様と一緒でなければ城下へ行けなかったのが嘘みたいだ。
「新作のお菓子、気になるなぁ…信長様へのお土産に丁度いいかも…」
信長様が心配されるといけないので、普段はあまり寄り道はしないで真っ直ぐお城へ戻るのだが、『新作の菓子』という言葉に興味を惹かれてしまった私は、声を掛けてくれたお茶屋さんの店先が気になって仕方がなかった。