第89章 重陽の節句
「母上っ、できたよ。これでいい?」
はしゃいだ声で言う結華の手元を見た私は、ニッコリと微笑んだ。
「うん、上手くできてるね。ふふっ…明日の朝が楽しみね」
そう言う私の目の前には、凛とした気品を感じる美しい菊の花が、今を盛りと咲いていた。
花びらに顔を近づければ、芳しい良い香りがする。
その中の一つ、白い菊の花に私はそっと真綿を被せた。
ここは、大坂城本丸御殿のお庭。
季節の花木が途切れなく咲き誇るように設えられた庭は今、初秋の風情を醸し出している。
その庭で、私と結華は明日の『重陽の節句』の準備をしていた。
明の国では、奇数は縁起のよい陽の日とされており、三月三日、七月七日など奇数が重なる日は、幸多い日と考えられている。
中でも一番大きい陽の数である九が重なる九月九日を『重陽』と呼び、宮中では古くから『重陽の節句』として祝い事がなされる風習があったのだった。
宮中での行事は大名家にも広がり、織田家でも私がお嫁に来てからは折々の節句の祝いをするようになっていた。
「奥方様がお嫁入りされてから、奥も華やかになりましたわ」
「そうそう、御館様はこういった行事ごとには、元来無頓着でいらしたから…女子は楽しみにしているものなんですけどねぇ」
侍女達が、準備をしながら噂話に花を咲かせている。
信長様は、安土にいた頃から母上や妹君とも離れてお暮らしであったから、城は私が来るまで女っ気がなく、季節の行事などもあまりなさっていなかったそうだ。
今よりもっと、戦に明け暮れる殺伐とした日々であったから、公家衆のように呑気に年中行事などしていられないという、仕方がない面もあっただろう。
教養深く、様々な事をご存知な信長様が、季節の催しを知っておられないわけはなく、色々と面倒だから、という理由で流しておられたらしい。
重陽の節句は、『菊の節句』とも呼ばれていて、様々な方法で菊を愛でる行事でもあった。
今、私と結華がしているのは『菊の被綿(きせわた)』という風習だ。
庭の菊の花に綿を被せて一晩、綿に菊の香りのする夜露をたっぷりと染みこませる。翌朝、この菊の露を含んだ綿で肌を拭いて菊の薬効に健康、長寿を願うのだ。
被せる綿は色付きで、赤い菊には白い綿、白い菊には黄色、黄色い菊には赤色の綿を被せる。