第87章 向日葵の恋
(うふふ…信長様がこんなに焦ってる姿、貴重だわ。たまには、ちょっとぐらい意地悪してもいいよね……)
「……『千鶴に意地悪する父上なんか大嫌い!』だそうですよ?」
「はぁ!?朱里っ、貴様、ちゃんと説明してやっておらんのか?」
「だって、泣き過ぎて話も出来ないぐらいだったんですもの」
「なっ…ならば、今から行ってきちんと釈明を…」
「ダメっ!」
すぐにでも駆け出して行きそうな勢いの信長様の腕を、やんわりと掴んで制止する。
困り果てた情けない顔を見せる姿に、ひどく心が揺さぶられた。
(もぅ…本当に困った人)
家臣達や同盟相手の大名達でさえ、その顔色を窺い一喜一憂するほどの威厳を備えている男が、小さな娘の機嫌を損ねて焦っている様は、微笑ましくて…堪らなく可愛かった。
「っ……朱里?」
「今宵は行ってはダメですよ」
「いや、しかし…今も泣いておるやもしれんのだぞ。今宵は一人寝させるのは、さすがに可哀想ではないかっ…ここで三人で眠ればよい」
「大丈夫ですよ。千鶴に、秀吉さんの御殿へ行く前に結華の様子を見てもらうように頼みましたから」
「なに!?っ…貴様、いつの間に…」
「『父上様』は明日、きちんと謝罪なさって下さいね?」
「ゔっ……」
小さな結華に謝罪をする信長の姿が頭に浮かび、我知らず口元が緩んでしまっていた私を、信長様が見逃すはずはなかった。
「……貴様、面白がっておるだろう?」
抱き締められたまま背後から顔を覗き込まれて、全てを見透かすような深紅の瞳でジロリと睨まれる。
「やっ、そんなこと…な…い…んんっ!」
耳元に熱い吐息がかかり、耳朶をカリリッと甘く噛まれる。
「やだっ、信長さま…んっ…」
「俺を困らせて面白がっておった罰だ」
「っ…そんなっ…信長様が悪いんですよっ…んんっ!結華を…泣かせるからぁ…」
「くっ…もう二度と泣かせん。俺が啼かせるのは…貴様だけだ」
「あっ…んっ…あぁ…」
頭の芯まで蕩けるような甘い口付けを、余裕なく受け止めながらも、朱里は先程見た秀吉の、この上なく幸福そうな太陽のように眩しい笑顔を思い出していた。