第85章 黒い影
「朱里…この身に貴様を感じたい。もう少し…触れてもよいか?」
耳元に注がれる切なげな囁きに、心の奥が打ち震える。
(私も…貴方をもっと深く感じたい。不安に揺れる貴方を安心させてあげたい)
「はい…私も、もっと信長様に触れたいです。貴方の無事を、この身に感じさせて下さい」
そっと見上げた私の顎を、信長様のほっそりと長い指先がクイっと掬い上げる。
目蓋を閉じたのと、柔らかくて熱い唇が重なったのは同時だった。
「んっ…あっ、ふっ……」
ちゅっちゅっと啄むように口づけながら、時折、尖らせた舌先で口の端をツンツンと擽られると、閉じていた唇は無意識にも物欲しそうに開いてしまう。
微かに開いた隙間に、ちゅぷっと舌先を押し付けられると、抵抗などできるはずもなく、信長様の熱い舌は私の口内を易々と這いずり回る。
どちらからともなく、舌先が触れ合えば、湧き上がる熱情を抑えることができなくなり、互いに深く求め合った。
「っ…あっ、んんっ…」
重なり合った唇の隙間から零れ落ちる吐息は、甘く切ない。
もっと深く、もっと激しく信長様を感じたい。
身体の奥から湧き上がる欲に突き動かされるように、自分からねっとりと舌を絡めると、すぐさまそれに応じるように信長様の熱い舌が絡まる。
「朱里…愛してる」
長い長い口づけの後、名残惜しげに唇が離れていく刹那、囁くように告げられる愛の言葉が、泣きたいぐらいに嬉しかった。
「私も…愛しています。信長様…貴方だけを」
朱里の言葉に、安心したようにふわっと柔らかく微笑んだ信長は、もう一度強く抱き締めて、額に一つちゅっと口づけを落とす。
それから、大事そうに朱里の身体を抱き上げると、揺らさぬようにゆっくりと歩き出した。
夜が明ければまた、戦の処理と日々の政務に追われる一日が始まる。此度の戦勝の報告と、捕縛した義昭の処遇を決めるため、再び上洛もしなければならないだろう。
思い煩うことは多けれど、今この時、今宵一晩だけは、愛しい妻をこの腕に抱いてゆっくり眠りたかった。
願わくば、このまま朝が来なければ良い……そう思いながら、信長は天主へと続く長い廊下を歩き始めた。