第85章 黒い影
光秀自身に二心がないことは、この俺が一番良く分かっているが、この男の行動はとかく誤解されやすい。
本人もそれを良しとして隠密活動をしているような節があり、俺も敢えて干渉せず、光秀の好きにやらせている。
秀吉と光秀
まるで正反対の二人だが、俺の右腕と左腕、なくてはならぬ者どもだ。
「光秀、俺はどのような官位も受けぬ。それが帝の意に背いたとしてもだ。だが、義昭に好き放題させるつもりもない。
こちらの言うことを聞かぬのなら、彼奴には相応の報いを受けさせねばならん。
三成、早急に軍備を整えよ」
「はっ!」
光秀には引き続き、京で朝廷との交渉を続けるよう命じ、その日の軍議はお開きになった。
(すっかり遅くなってしまったな……まだ起きているだろうか)
夕餉も挟み、遅くまで続いた軍議を終えた信長は、はやる気持ちのまま、奥御殿へ続く廊下を足早に歩いていた。
「………朱里?」
シンっと静まり返った御殿内を静かに歩いて辿り着いた朱里の部屋の前で、小さく声をかけて襖を開ける。
室内は暗く、奥の寝所の方からはぼんやりとした灯りが漏れていた。
そぉっと襖を開くと、柔らかな灯りの下、褥の上で丸くなって眠る朱里の姿があった。
「っ……もう寝ておったか」
物音を立てぬよう足を忍ばせて褥の側へ寄ると、眠る朱里の顔をそっと覗き込んだ。
少し口元が緩んだ穏やかな寝顔に、ホッと安堵の息を吐く。
(今宵はもう、連れて帰れぬな……)
朱里が床上げをして起き上がれるようになってからは、一日の終わりに迎えに行き、天主へ連れて帰る生活を続けていた。
身体の交わりのない、一緒に横になって眠るだけの夜だが、信長にとっては朱里と過ごせる大切な時間だった。
今宵は随分と軍議が長引いたせいで、遅くなってしまった。
朱里はそれでも待っていてくれたのだろうか、褥の上で掛布も掛けずに猫のように丸くなって眠っている。
腹を守るように小さく身体を丸めている姿がいじらしい。
顔に落ち掛かる艶やかな黒髪を、起こさぬようにそっと払ってやりながら、信長は、湧き上がる愛おしさが抑えられない。
触れたい
抱き締めたい
その僅かに開いた唇を奪ってしまいたい
ただ傍で見ているだけでも愛おしくて、狂おしいほどの衝動が抑えられず、眠る朱里の隣にそっと身体を寄り添わせた。