第1章 前編
私には、約8ヶ月間の記憶がない。
去年の春から冬までの8ヶ月。
それ以前のことは全て覚えているし、その後も普通に生活している。
ただその8ヶ月間の記憶だけが、すっぽりと抜け落ちてしまっていた。
事故に遭ったとかではなく、ある朝起きたらもう昨日までの記憶がなくなっていた。
精神的に何か大きなショックを受けた場合、稀にその時の記憶を失ってしまうことがあると医者は言った。
丁度その春から、とある有名な会社に入社した私。
入社式の前、意気揚々としていた自分はしっかりと覚えている。
おそらくその会社で大きなストレスがあったのだろう、続けて医者は言った。
両親はその原因が何か知っているようだったが、何も教えてくれなかったし、私も知りたいと思わなかった。
……知るのが、とても怖かった。
それからすぐにリハビリのためにと、それまで住んでいた“西の都”を離れ、家族でこの土地に引っ越してきた。
ここは自然に溢れ、いつも綺麗に澄んだ空気に包まれている。
父は大変だろうに飛行機で毎日何時間もかけて西の都の勤務先に通っている。
私は専ら母の家事手伝い。
記憶を無くしてから、もう半年の月日が経とうとしている。
いまだに私の記憶は戻らない。
でも今私は家族やこの土地で出来た友達と、平穏な毎日を過ごしている。
今、無くした記憶を取戻したいとは、思わない……。