第9章 ホダシ
だがひまりは、そんな男に微笑みを向けた。「同感です」と言葉を付け加えて。
「私にとっても貴方達には価値がありません。昨晩無くなりました。だから、同感です。貴方達がどんな痛みを伴おうと知ったこっちゃ無い」
微笑んではいたが、袖に隠れた握り拳は僅かに震えている。
男は眉をピクリと動かして片目を半眼にする。ひまりの言葉に苛立ったようだ。
「このアマ…」と罵声を浴びせようとした所で、彼女の背後に居る殺気を放つ彼等の存在を思い出し口をひき結んだ。
「でも、貴方にとって価値がなくても…どうやら私にはちゃんと価値があるようです。それも昨晩、気付かされました。きっと世の中の人間全て自分にとっては価値が無くても誰かにとっては価値があるんだと思います」
ひまりは微笑みを消す。
自分よりも大きい男の目をしっかりと見る。
「だから…気を付けて下さい。誰かを侮辱するということは、1人だけから恨みを買うわけじゃないです。誰かにとって価値があるなら、その全員を侮辱したことになり、恨みを買うことになります」
ひまりは拳を握りしめる。
怖かった。でも、昨日の事があったからこそ気付かせて貰えたのも事実だ。
だからって、今回のことを感謝出来るほど出来た人間性は持ち合わせていない。
再度拳を握りしめる。しっかりと二の腕まで袖をまくって。
「殴らせて下さい。私も痛みと共に記憶しておきたいので」
笑顔を作り、狼狽る相手の返事を待たずに拳を頬目掛けて繰り出した。
鈍い音が空気を震わせる。
二の腕までが痺れるような衝撃と、骨が軋むような痛み。
あぁ、殴るっていうのはこんなにも痛いものなんだ。
よろけて尻餅をつく男に笑顔を向けたまま、空中で手を開いて痛みを逃すようにプラプラと振った。
ひまりの目の前の男達も驚きで目を見開いていたが、それよりも背後の由希達の方が驚きでこぼれ落ちそうな程に目を見開いていた。
「はは…すげっ…」と夾は口端を不自然に上げて呟く。
刹那、乾いた風がその場を通り抜けて行った。まるで称賛するように枯れ葉を巻き上げて。
そしてひまりは最後にこう言った。
「貴方も忘れないで下さい」
見栄を張って作ったような、歪な笑顔を朝日が照らしていた。