第1章 身投げじゃなくて
(やっぱり折れてたか……)
包帯が巻かれた右手を見ながら、ローは小さくないため息をこぼす。
一晩たっても引かない痛みにそんな気がしていてので驚きはそれほどなかったが、面倒なことになったとは思った。
わざわざ外部受験までした大学の初めての講義に遅刻した時点で、ケチがついてしまったのは確かだった。家族に心配をかけないよう通学を装って病院に行ったが、包帯を見られたらもう誤魔化せない。その説明も非常に面倒くさかった。
(ん……?)
一限目の講義には確実に遅刻なので、もう急ぐ気にもなれない。
通学のため駅に向かっていたローは、橋の上で奇妙なくらい身を乗り出している少女を見つけて目を細めた。
(身投げじゃねぇだろうな……?)
ついつい凝視してしまったのは、彼女が妹と同じ高校の制服を身につけていたからだ。
紺色のブレザーにチェックのスカートは近隣で一番かわいいと評判で、妹ラミは制服の可愛さに一目惚れして進路を決めてしまったくらいだ。
少女はラミよりずいぶん小柄で、まだ制服に着られているようにさえ見える。
彼女はぱっと振り返ってローを見た。こぼれ落ちそうなほど大きな瞳と目があって、思わず息を呑む。
アイドルかと思うくらい、目鼻立ちの整った少女だった。
「その傘、ちょっと貸して!」
傘?と思いながら勢いに飲まれてつい差し出してしまった。午後から雨だというので念の為持ってきたビニール傘。
彼女はひったくるように傘を持つと、そのまま橋の欄干を乗り越えた。
「おい……っ」
ローは慌てて欄干に飛びつく。彼女は身投げをしたわけではなかった。
土がむき出しの堤防に飛び降りて、よろけながらも川岸に下りる。枯れた春先のススキを掴んで身を乗り出しながら、ローの傘で引き寄せようとしているのは川を流れていくダンボールだった。
(なんだ……?)
目一杯体を乗り出して傘を伸ばしても、ダンボールにはあと少し届かない。無理して腕を伸ばした瞬間、掴んでいたススキがちぎれて少女はバランスを崩し、川に落ちた。
「おい、大丈夫か……!?」
幸い川は浅く、くるぶしの上ほどの水深だが、つんのめった彼女はそのまま川の中に転んでしまった。追いかけようとして右手に痛みが走り、ローは舌打ちする。折れた右手では橋の欄干すら乗り越えられなかった。