第8章 遥かなる苔の細道をふみわけて、心ぼそく住み成したる庵あり
「おーい。起きろー。現実を見なさーい」
公任が揺らす度、銀邇の頭が柱にぶつかる。
陽露華は冷や冷やしながら見ていた。
突然、銀邇が公任の腕を掴んだ。目はしっかり開いている。
「あ! 起きいだだだだだ!」
銀邇はギチギチと音を立てるほど公任の腕を握り締める。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
公任が必死に謝ると銀邇は腕を離した。
公任は袖を上げて、掴まれた部分に赤く痕が残ってるのを見ると、口を尖らせて息を吹きかける。
「朝から最悪だあ」
「自業自得だろ」
「誰かさんが夢から醒めないもん」
「あ”?」
「ふーんだ」
陽露華は銀邇が呟いていた寝言が気になったが、くだらない痴話喧嘩を見ていると、どうでも良くなってくる。この場合、男同士だが。
3人は早々に朝餉を食べ、人が使った痕跡を消して山を離れた。
田圃の畦道を朝日が照らす。
公任は今朝も歌いながら先頭を歩く。彼の後ろをついて行くように、陽露華と銀邇は歩いていた。
「……あの、銀邇さん」
「どうした」
「お怪我の具合は……?」
「ああ、問題無い。お前は平気か?」
「え、あっ、はい。大丈夫です」
まさか自分も心配されるとは。
面倒見の良い銀邇なら聞かれるだろうと、薄々感じていても、陽露華は少し戸惑う。
館を出た後は、とにかくその場から離れる事を最優先に山を走ったので、互いの怪我を心配する余裕もなかった。
「そういえば、異能が発現したって言ってたな」
「はい、そうです。まだ実感があまり無いのですが……」
昨晩打ち上げた花火を思い出す。
暁夫の驚いた顔が未だに忘れられない。
「俺も見たかったな、『花火』」
銀邇は無邪気に笑って陽露華を見下ろす。
彼はこういう風に笑うのか。
「はい。また、機会があれば!」
陽露華も出来るだけ笑顔で返す。
久しぶりに最悪な家族と再会して褪せてみえていた景色が、銀邇との何げ無い会話で色味が戻った気がする。
暁夫と紅子は綺緋の暗殺を知っている。無論、犯人も。
しかし彼らが陽露華らを警察に報告する可能性は、零に等しい。
彼らはもう、こちら側の人間だから。