第3章 謎解きって無駄話みたいだと思う。
鼻血が悪化しないようにチルチャックから目を逸らして周りを見回す。乾いて古びた紙の匂いがした。書物があるのかな。暗くて何があるのか、どういう場所なのか、よくわからない。灯りを灯さなくちゃ。
まるで関係ないことが直面してることの鍵になることって、実はよくある。だから経験は大事だ。経験がなくちゃ連想の鎖は繋がらない。
無駄話も一緒。無駄であっても話すことがあるってことは、経験なり考え方なり、自分の器の中に何かしらの中身があるってこと。
その場では無駄でも違う場面では大事な知識になるかも知れないんだからどんなやり取りだって侮れない。どういう無駄話が出来るか、人の無駄話にどれだけ付き合えるか、そこから何を得るか、何を生むか、これって知的財産の蓄財に繋がる気がする。でもだからって本を読むように人と付き合えるかっていったらそんなこと出来るわけないし、知識と社交性は全然違うけどよく似てて、どっちも同じくらい大事。経験は知識にも社交性にも置き換えられるけど、ただ積み重ねても意味がないってのがお辛い。痛い目見たりいい目を見たり、泣いたり笑ったりしながら、流さずに確実にものにしていかなきゃならない。
「おい。ホントに大丈夫なのか?」
だから声をかけないでってば!
考え事して気を紛らわしてんの!優しくされるとまた怪我して甘やかされたくなっちゃうでしょ!それもいいけどさ!ちょっと落ち着きたいの、私は!
こんな風に二人きりになっていよいよよくわかった。思ってた以上に私はチルチャックが好きみたい。
この仕事が終わったら、もうちょっと真面目に先のこと、考えてみよう。どうやったらチルチャックの傍にずっといられるか、ちゃんと考えてみよう。