第16章 6区
スマホをチェックしてみると、スタンプがひとつだけ送られていた。
前足を上げ、凛々しい眉毛を吊り上げた犬のスタンプ。
ニラに似たところがお気に入りらしく、舞がよく使っている。
思わず口元が綻んだ。
何て言いてぇのかな。
頑張れ?負けるな?
まさか、尻込みしてんじゃねぇ!とか?
俺の心次第でどうとでも取れるが、前向きなエールには違いない。
一斉スタートの時刻までは、あと20分。
舞がスタンプだけのメッセージをくれたのは、俺が集中できるようにと気を遣ってくれたのだろう。
それを理解していながらも、俺の方が舞の声を聞きたくなり、通話ボタンを押した。
『―――もしもしっ?』
ワンコール鳴り終わる前に舞の声が届く。
「おはよ」
『おはよう』
「メッセージ、ありがとな」
『ううん。大丈夫?スタート前なのに』
「まだ時間あるし平気。走る時にはいつも舞がいたから。声聞かねぇと、何か足りねぇんだよ」
『えー?そうなの?』
身体の準備は万全。
その上でこうして舞と話していると、まるで普段のトレーニングと何ら変わらないように思え、心に安寧が生まれる。
「そうだ。神童、もう調子良さそうだよ。いつも通りテキパキ働いてる」
『ほんと?よかった!ユキくんは?調子どう?』
「ああ、いい感じに調整できてる。夜明け前までは、ちょっと緊張でヤバかったんだけど。神童にかなりダセェ弱音まで吐いちゃったし…」
『どんな?』
「絶対言えねぇ」
『男同士の秘密?』
「そうだな、それだ」
『ふふっ、そっか。じゃあ聞かないでおく』
「神童が励ますんだよ、俺のこと。神童の方がよっぽど怖かったはずなのにな…。そう思ったら急に恥ずかしくなって。もうやるしかねぇって覚悟が決まった」
不思議なもので、あと数十分後にスタートが控えているとは思えないほど気持ちが淡々としている。
今までのトレーニングの成果を出し切る。
今日が俺の終着点だ。
倒れたとしても、怪我を負ってもそれでいい。
神童が捨て身とも言える走りをした理由が、今ならわかる。
ここまできたら、俺に託された役割を貫徹するのみ。
「舞。あったかいよ、マフラー」
『うん…』
「そばに舞がいるみたいで、安心する」