第16章 6区
思考をシフトしろ。
マイナスなイメージはプレッシャーを増強させるだけ。
積み重ねてきた日々を思い返せ。
今までこなしてきたトレーニング、走ってきた距離、地獄の白樺湖。
走るためだけに費やした時間はこの身に染み付いているはず。
ここ数年の箱根駅伝で積雪があった年はない。
今日を走る誰もが、雪の箱根を下るのは初めてなのだ。
俺だけじゃない、条件は同じ。
心を強く保てるかどうかで僅かな差は生まれ、その差がタイムと結びつく可能性だってある。
「ありがとな、神童。何か腹括れた気がするわ」
「かっこいいとこ、見せてください」
「おう。お前病み上がりなんだからさ、早く中入ろうぜ」
「はい」
音もなく降り続ける雪を背に、俺たちは旅館の玄関を潜った。
神童が届けてくれた襷は、必ず俺が、次へ繋ぐ―――。
午前7時45分。
いよいよ復路スタートが迫る。
拍動が増す胸の音とは逆に、頭の中はすっきりと澄んでいて冷静だ。
6区は最初の4kmは上り、そのあと一気に山道を下る。
下りきったあとは、ラスト3kmの緩やかな坂を駆け抜け小田原中継所を目指す。
ただ、ここをただのロードだと思うのは大間違いだ。
過去の雑誌記事などを読み漁ったところ、山道で酷使してきた両脚にはとんでもない負荷がかかっているため、脚を運んでいる感覚がしないのだとか。
身を削るような粘りを最後まで維持できるかどうかで、1分程の差が開いてしまうこともあるらしい。
不安材料となるような言葉なら散々見聞きしたけれど、今はそれに動じるような心はない。
迷いや恐怖、仄暗いものがないと言えば嘘だが、意識の奥底に捩じ伏せた。
「6区の最終エントリーで10,000mを28分台で走れるのは、六道の選手だけです。付いていけない面子じゃない」
すっかり調子を取り戻した神童は、選手たちの過去のタイムを調べたり監督に連絡をとったりと、相変わらず無駄のない仕事っぷりを発揮している。
深呼吸をして、マフラーに顔を埋めた。
そうだ、舞―――。