第10章 ただ、好きなだけ ※
耳元で呟かれた声に、私も小さく返す。
「情けないって、何が?」
「もっとカッコつけたかったってこと。ホテルのバーで飲みながら、"最上階の部屋、取ってあるから" みたいな?」
「なんてベタな」
「あ、笑うな!」
「でもユキくんにそんなこと言われたら、ベタでも絶対嬉しい」
「そういうカッコつけたのは、またいつかな」
「うん…」
背中に添えていただけの手を大きく回し、私からもギュッと抱きついた。
ユキくんの唇が、私の頬にゆったり触れる。
「好きだよ」って言ってくれる時みたいな、優しいキス。
「映画は、今度でいい?」
「うん」
「引き返すなら今だぞ?…なんて言ってやれるほど、大人じゃねぇよ?」
「いいよ」
そんなのいらない。
ユキくんと満天の星を見たあの夜から、ずっとこの日を待っていた。
大好きな人のものになれる夜に、躊躇なんてない。
いくつか連なるホテルの中のひとつに入り、部屋を選んで廊下を進む。
静かで薄暗いその空間にいると、緊張が増していくのが自分でもわかる。
もうユキくんに流れを任せるがまま。
乗り込んだエレベーター。
目的の階までオレンジ色の数字が順に点灯していくその様を、何となく目で追う。
次の瞬間。
移りゆく光はユキくんの顔によって遮られ、私の唇には温かいものが乗せられた。
何度も触れて、喋んで、遂にはしっとりとした舌が絡んで…。
「舞…」
私の名前を呼ぶ甘い声がする。
湿潤した愛撫が全ての感覚を支配している彼方で、到着を知らせる音がポーンと響いた。
ユキくんの唇が離れていく。
名残り惜しい。
もっと、触れていたい。
二人でエレベーターを降りた先には、いくつものドア。
高まっていくどうしようもない愛しさを伝えたくて、繋いだ手に力を入れた。
特に言葉を交わすことなく目的の扉の前に到着する。
向こう側に閉じこもってしまえば、私たちに訪れるのはめくるめく新たな世界。
今からこの部屋の中で起こることは、誰にも知られることはないし、聞かれることもない。
ただ、二人きり。
想いを重ね、お互いに秘めていた情熱を曝け出し、深く愛し合うためだけの時間が始まる。