第1章 Under the Cherry
「沙羅ー!」
隊舎を出たところで響いた声に振り返ると、よく見知った顔が手を振りながら駆けよってくるところだった。
「今から休憩? ね、それじゃご飯食べに行かない? 繁華街においしい定食屋さんができたんだって!」
十番隊副隊長、そして無二の親友でもある松本乱菊の誘いを断る理由もなく、沙羅はふたつ返事で頷いた。
「いいじゃない、引き受けちゃえば。浮竹隊長じきじきの推薦なんでしょ?」
「そういうわけにはいかないよ」
目の前に運ばれてきた御膳に箸を伸ばしながら、乱菊は「あら」と顔を上げた。
「どうして? 副隊長はいいわよ~。面倒な雑用は全部下っ端に押しつけちゃえばいいんだし、自分じゃ手に負えそうになかったら隊長任せにすればいいんだから!」
さばの味噌煮にかじりつきながら言う乱菊に、十番隊の隊長と隊士たちはさぞや大変だろうな、と内心で苦笑をもらす。
「私には無理だよ」
「なにをそんなにしぶってるわけ?」
「しぶってるっていうか自信がないの。まだ七席の身なのにいきなり副隊長だなんて」
「それだけ沙羅の能力を買ってくれてるってことじゃない。自信を持つべきところよ、それは」
「うん、ありがたいとは思う。けど……私は海燕先輩のようにはなれないし」
その名を口にして脳裏に鮮明に蘇るのは、屈託のない笑顔。
正義感が強く、面倒見がよくて、十三番隊の隊士を一手にまとめあげていた敬愛する元副隊長。
「――バカね。誰も志波副隊長のようになれなんて言ってないわよ」
「うん……それもわかってる」
「だったらうだうだ悩んでないでさっさと決めちゃいなさいよ。あんたはあんたらしく! それが一番でしょ?」
カラリとした笑顔で言い切る乱菊。
彼女の言葉を借りるとすれば、こういうところが「乱菊らしい」と思う。彼女ならではの美徳のひとつだ。
「……そうだね。ありがと乱菊。もうちょっと考えてみる」
向かい合わせに座る親友に笑顔を返して、沙羅も自身の生姜焼き定食に箸を伸ばした。