第1章 【R18】仮初め《昌平君×李牧》
「こんな所まで、何の用だ?」
低くて冷たい、昌平君の声が響いた。
振り向かずとも、秦国の人間でないことを、直感で察していた。
刺客でもない。
研ぎ澄まされた感覚の中に、不気味さを覚える。
「こんな所まで、すみません。このまま邯鄲へ帰る訳にもいかず、あなたの顔を拝見しにきました。」
聞いたことのある、とぼけた声だ。
日が暮れる前に、興奮して荒げていた声とはまた違う。
「しかし、さすがですね、秦国の軍総司令は。背後に憂いを察知していながら、冷静でいられるとは。感心しますよ。」
遠回しな表現だ。
上からの目線が、鼻につく。
昌平君は、更に神経を尖らせた。
飄々としていて、少し上ずっている、このとぼけた声の主が、趙国の宰相、李牧であることは、すぐに理解できた。
突然の出来事に、昌平君の内心は冷静ではなかったが、動揺を表情に出すことはない。
ゆっくりと振り向き、目の前の男が護衛や家臣を連れていないことを確認すると、
「私に、何の用だ?」
再び、昌平君は尋ねた。
「ご安心ください。私には、男性の寝床を襲う、そんな趣味はありません。あなたがどういう人物なのか、この目で確かめるために来ただけです。」
淡々と、李牧は説明する。
「先程は私もついカッとなってしまい、大人気ないことをしたと反省しています。
咸陽へ来た目的は、秦の若王が、いかにして中華統一などという無謀な夢を語るのか。
そしてまた、その狂った夢を叶えるための画を描くのは、一体どういう人物であるのか。
直接、私のこの目で確かめたかったからです。
先程の会談で、若王が、現実に、なし得る事のできない、無謀な夢を本気で信じていることは分かりました。
リスクも顧みず、顧みていたとしても、その大きさ、真の恐ろしさは理解できていない様子であることも、分かりました。
若気の至りでしょう。」
語気を強めるでもなく、調子を変えるでもなく、李牧は続けた。
「一国の主が、道を踏みはずそうとしている。
これは我々六国の人間にとっても見過ごすわけにはいかない悪事ですが、まずは王のすぐ側で、王、強いては国のゆく先を導き、支える側近の大人たちが、誤ちを正してあげる義務はないのですか?
秦国、軍総司令にして秦国右丞相の昌平君。」
一瞬の間があく。