第1章 File:1
狡噛慎也は最悪の事態の想定に入った。
自分に回るであろう役目に少々戸惑いはあるも、今のうちに心の中で整理をつけないと、上司の次の一言に驚きすぎてしまうかもしれない。
誰かが淹れたコーヒーの良い薫りが鼻を掠めた。
目の前の上司である和久は顔の前で指を組んでうーんと唸っている。
「困りましたね。」
本当にこの人は困っているのだろうかと狡噛は思う。
和久のポーカーフェイスはいつものことだ。そして困ったと口では言っても必ず解決できる。
だが今回ばかりはどうだろうか。
狡噛は隣で小さくなって俯く少女を見た。
彼女の白いワンピースはいたる所が汚れたままになっている。
先程保護したばかりだ。歳は17か18か。恐らく20歳には満たない。なぜこのご時世で彼女の情報がないかと言えば答えは単純。廃棄区画に住む無戸籍者であるからだ。
彼女は何者かに追われているところを、偶然にも廃棄区画との堺に設置された街頭スキャナに引っかかり、それがさらに規定値超過のサイコパスを検出。現場に駆けつけた当時当直勤務の狡噛監視官と天利執行官と征陸執行官によって彼女は保護。彼女を追っていた複数のうちの一人は犯罪係数300を超えており、携帯型心理診断・鎮圧執行システム・ドミネーターによって抹消された。
こんな状況下でも彼女の犯罪係数は規定値内に留まっており、念の為セラピーを受けていたがその施設から脱走。連絡の入った三係が再び保護し今に至る。
彼女の色相はクリアだったため施設に隔離の必要もない。
だが事件性の観点から調査は進めることになり、重要参考人として保護はした、が彼女は戸籍がなくもちろん家もないという。どこで生活をさせるかが問題となっていた。
健全なサイコパスなので執行官の官舎に居させるわけにもいかない。
和久の家は妻がいる。公安局の仕事内容は外部に持ち出すことはできないので彼女と和久の妻の接触も禁止だ。
となると余るのは。
「俺が引き取ります。」
もはや指示を待つだけ時間の無駄だ。なら自ら申し出てしまうほうがいい。
天利と昏田は驚いて声を上げていた。
ここにいる誰もが名案だとは思っていない。
それは狡噛も同じだが他に方法もない。
「社会的に自立できるまでのほんの一時だけだ。」
戸籍を与えサイコパスを所持させる。
それさえ済めばあとはシビュラの適正判断を待つのみ。
