
第35章 HLHI I〈栗花落 菖蒲〉
なんて軽口叩きあって、空ヶ咲のグラウンドを後にした。もうほぼ夕陽が沈みかけていて暗くなっている。
「菖蒲、泣いた?」
『え、あ、いや…うん…』
「誰に泣かされたの?」
鋭い瞳が私を刺した。大分怒っているのが分かる。
『違うの、これは』
止まっていたはずの涙が、太陽の殺気にあてられて再びじわじわと溢れてきた。
「えっ、ご、ごめん。怖かった、よね」
『違くて、これはさっき雪音と…話したから…』
「…そっか。誰かに怖い思いさせられた訳じゃないなら、良いんだ」
私の涙をそっと拭いながら笑った。太陽も、私の為に怒ってくれる1人なんだ。
『さっき雪音と話してた時、私はあんまり自分を大事にしないから、もっと大事にしてって言われたんだ』
「そうだね。菖蒲は自己犠牲が多いよ。いつの事とは言わないけど」
『うっ…その節は、ご迷惑おかけしました…』
「良いよ。菖蒲が無事帰ってきたんだし」
栗花落家は実質解散となり、記憶改竄の術も消された。人伝に伝わってしまうかもしれないが、人の口に戸は立てられない。そこはもうどうしようもないだろう。
『私の髪、翡翠の髪って言うんだって』
「知ってるよ。一緒に居たから」
『この髪、事情聴取をした鬼瓦刑事によれば、長さの度合いによって叶えられる願いの範囲が大きくなるんだって』
「それ、知られたらかなりまずいよね」
『そうだね…。まだ私の髪は切られたばかりで短いから良いけど…この事は私と太陽の秘密。良い?』
「分かった。口外しないよ」
いつか、この髪が誰かを救う時が来るんだろうか。遺伝はするものなのだろうか。色々不思議は残るけど、この髪は誰かを救う為に使いたい。
『うん、ありがと』
歩きながら、沈黙が流れて肌寒い風が通り抜けていく。
『あのさ、私自己犠牲って言われてもなかなかピンとこなくて』
「まぁ、そうだよね」
呆れながら太陽が此方を見る。なんだか自分の未熟さが恥ずかしい。
「だったら、自分で厳しいなって少しでも思い始めたらまずは雪音ちゃんか、僕か、誰でも良いから助けを求めて。1人で全部やろうとしないで。マネージャーの重い荷物だって、僕が半分持てば重さも半分、でしょ?」
『で、でも選手のサポートなのにマネージャーがサポートされちゃザマないっていうか』
「僕が手伝える時だよ。それ以外はちょっと頑張ってもらうしかないけど…」
