【文スト】Vanilla Fiction【江戸川乱歩】
第2章 冬
『〝ヴァレンタインの悲劇〟に幕が引かれるようです──、未明、殺人の容疑で──容疑者が逮捕されました』
──ああ、捕まったのね。
この〝ヴァレンタインの悲劇〟を知らない者はヨコハマにはいない。殺されたのが有数の資産家だということも理由のひとつとして挙げられるが、犯行の残虐性・猟奇性が話題を呼んだ。
けれど、〝ヴァレンタインの悲劇〟は、何もこれだけではない。警察の発表では余罪を追求するとのことだが、五年前のあれも追求はされるのだろうか。
──五年前の聖ヴァレンタイン、成美の家族が死んだ。
大した思い入れもない家族だった。けれど、いつも在ったものがそこになくなるというのは案外堪えるようで、成美は七日の間体調を崩した。
一年に一度の犯行というのは、犯人だけの美学だろうか。ヴァレンタインに特別な思い入れがあったのだろうか。議論は止まず、誰もが飛躍した噂話を知っている。
犯人が捕まったところで別段何の感情もない。元より、家族がいなくなっても体調を崩したのは七日間だけだ。それはたぶん、お気に入りのぬいぐるみが突如なくなったときと同じ気持ちの悪さだった。
──てっきり、捕まらないものだと思ってたけど。
両親に大した感情はない。好きも嫌いもない。けれど、感謝はしていた。正確に言うなら、あのとき死んでくれたことに。
父親だった男の部下が、その父親が遺した金で雇った護衛人のおかげで、成美は今ここにいる。彼の人がいなければ、きっと成美は生きる理由がなくて死ぬだろう。
──名前を、福沢諭吉と言った。
とても強くて、口下手で、優しい人だった。抱きしめる腕の強さを、呼びかける声のあたたかさを、今でも覚えている。
彼女だけが生き残ったという理由で護衛人を雇ったけれど、結局犯人は二度とは現れなかった。福沢が護衛してくれた半年間、不安の中にいながらも成美は幸せだった。親が死んで幸せになるなんて薄情だと思うけれど、成美はあの家にいたままなら、きっとこんな風には笑えなかったはずだ。
「福沢さん、今どうしてるかな……」