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【文スト】Vanilla Fiction【江戸川乱歩】

第5章 秋






成美が目を醒ましたときには、乱歩はすでにいなくなっていた。裸のままの肩が寒くて、布団を頭からかぶる。独特の倦怠感が抜けずに、けれど眠ることもできずに枕に顔を埋めた。

悲しくはなかった。だから泣いていない。

──いいや、悲しみもたしかにあった。乱歩に、恋した男に、いいようにされたことへの。けれど嬉しい、という感情が先に立った。恋した男に抱かれたことへの。

時間を確認すると、そろそろ出勤しなければならない頃だった。けれど、このままあのカウンターに立つことはできそうもなかった。成美の中であの場所は神聖で、唯一の居場所だから。穢すことは赦されないような気がした。



「……すみません、今日から一週間、お休みをいただきたいのですが」
「一週間!? ……成美ちゃん、何かあったのかい? 昨日はたしか、江戸川さんのところに遊びに行ったんじゃ」
「……本当に、ごめんなさい。失礼します」



電話の向こうで自分を呼ぶ声がしていたけれど、成美は応えられずに通話を切った。

今まで成美の生きる糧だった福沢の思い出も、もう意味を成さない。思い出そうとすれば、昨日再会したときの、笑皺が増えた顔だけが脳裡に浮かぶ。



──乱歩さんが、私を抱いてくれた。


嬉しかった。きっと報われないと思っていたから。たとえ、いっときの気の迷いだとしても。


──愛した人に抱かれた記憶があれば、私はきっと生きていける。

──それは、かつての福沢さんへの初恋と同じ。



乱歩への想いを抱きながら、恍惚の表情を浮かべた成美は、まだなお乱歩の真意に気づかないままだ。醜い、ゆがんだ愛を持つのは、成美か、乱歩か、それともふたりか。

秋が冬に変わる、冷たい日のことだった。




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