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【文スト】Vanilla Fiction【江戸川乱歩】

第5章 秋






「そうだ、今度探偵社に来なよ!」
「探偵社に、ですか? わあ、行きたいです!」
「そうだなあ、今度、休みを取って来たらいい!」



例の事件以来、成美と乱歩の距離は変わっていない。成美はあからさまに避けるでもなく、乱歩は見るからに近づくでもなく、いつものままの距離を保っていた。

あのあと、次の日に休みを取ったことに何かを感じとったらしい親父さんが成美の出勤早々に謝罪したことには驚いた。成美も、もちろんマスターも。
親父さんに非はなく、ただ体調が悪かっただけだと伝えてもなお、彼は眉尻を下げたまま申しわけなさそうに笑った。

──のちに、マスターに聞いた話。
親父さんは、ちょうど成美と同じ歳の頃の娘を、いつの日にか亡くしたらしい。それを聞いて納得がいった。親父さんの成美を見る目に、ときおり慈愛と悲哀が入り混じることに。



「ちょっと待ってくださいね。マスター! 次、お休みいつ取れますか?」
「いつでもいいよ。この間、ちょうど遊びにでも行ったらって話してたもんね。店はまた家内に少し復帰してもらえばいいから」
「え! 奥さん大丈夫ですかね……」
「大丈夫だよ、あれも最近働きたがってるから」



奥さんは腰を痛めてからもうすっかり引退して、店の調理はすべて成美が請け負っている。元気いっぱいな人だったから、生活に刺激が足りないのかもしれない。それに、常連さんの中には奥さんに会いたがる人がたくさんいる。それくらい、素敵な女性だから。



「それなら、安心してお休みいただきますね」
「うん、楽しんでおいで」



マスターとまるで父娘のような会話をする成美を見ながら、乱歩はあの日から今までの成美に思いを馳せていた。

──確実に、つくり笑いが増えている。

まるで、自分との距離をそのままに保ちたがっているかのように思えた。
彼女の想いは自分と同じものだったはずなのに、と乱歩は考える。成美の視線には、未だささやかな熱が含まれているのに。



「乱歩さん、今度の水曜日に、遊びに行ってもいいですか?」



乱歩はこの好機に、成美との関係をどうにかして先に進めるつもりだった。




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