第3章 携帯電話が運んだもの
あずき色の瞳の大きなアーモンド形の目。
上がり調子の引き締まった眉。ふっくらとした唇。
赤みがかった茶...樺色の長めなボブヘア。
白百合のような制服に身を包んだ小柄な女の子とぶつかった。
ざあっと春の暖かな風が吹いた。
花壇に咲いていたスズランの花が風に揺られて、あたりはスズランの香りに包まれる。
一瞬の沈黙。その沈黙を破ったのはプールから歩いてきた彼女のほうだった。
「もしかして...!ケータイの人...松岡さんですか?」
電話での優しくて明るい声には間違いなかったが、直接話すとよく通る声質であることのほうが強く印象に残る。
「あたし、ケータイ拾った榊宮汐っていいます。この黒いスライドケータイですよね?」
汐の手にはケータイが握られていた。
凛のケータイを拾ったのは汐だった。
凛は汐の手に握られていたケータイを見ると、俺のだ、とつぶやいた。
そのつぶやきを聞き逃さなかった汐は凛の手を取った。
凛が驚いていると、その手にケータイを握らせて微笑んだ。
「よかった!ちゃんと充電もしておいたんで、すぐ使えますよ!」
「あ、ああ。ありがとうござ...」
「どういたしまして。じゃ、あたし部活あるんで!」
最後まで言わせてもらえなかった。
その親切さと話の展開の速さと汐のあっさりさに気圧された凛が言い終わるのを待たずして、汐は踵を返して行ってしまった。
しかし、数歩進んだところで汐は振り向いた。
そして思い出したようにこう言った。
「ちなみにあたし、〝さかきのみや〟じゃなくて〝さかみや〟なんで!言うタイミング逃して言えませんでした!それじゃ、もうケータイ落としちゃだめですよ?」
茶化すような声音といたずらな笑顔を凛に向けた。
間違いを非難するものではないとわかったが、いくら笑顔で指摘されても恥ずかしい。
汐は満足そうな笑みを浮かべると再び歩き出した。
ここでも凛の返事を待たなかった。
あまりの展開の速さに凛は呆然としていた。なにも言えないうちに汐は行ってしまった。
ケータイを開いた。バッテリー残量98%。
凛は寮に帰ろうと来た道を戻りだした。
(なんだあいつ...)
展開の速さ、背の小ささ、声質、そしてあの笑顔。
それらは凛の記憶の一部として留まるに十分すぎるものだった。