第8章 命の記憶
ザラは天を仰ぎ見た。
ここが地獄かと本気で思った。
半狂乱になりながら突撃していく兵士が一人、また一人と赤い花弁を視界に散らせて消えていく。
目も当てられぬほどに惨たらしい現実。
眼前に広がる地獄のような光景が、兵士達の断末魔が、じわじわと胸を蝕んでいく。
「エレン!?何をしてるの!それが許されるのはあなたの命が危うくなった時だけ!私たちと約束したでしょ!?」
ペトラの叫び声に、ザラはハッと我に返った。
かぶりを振り、しっかりしろと自分を叱責した。
凄惨たる現実から逃避しそうになる精神を、やっとの思いで肉体へと繋ぎ止める。
一瞬たりとて、気を抜いてはいられない。
エレンとペトラは睨み合い、エレンは今まさに右手の甲を噛みちぎろうとしているところであった。
エレンの自傷行為───それはすなわち、彼の巨人化の意志を示すものだった。
面面に緊迫した気配が走る。
成す術もなく散っていく兵士たちの無念の死を、黙って見過ごすなどできないとエレンは言い切ったのだった。
「エレン。お前は間違ってない」
リヴァイが言った。
振り返りは、しなかった。
「やりたきゃ、やれ」
その場に居合わせた誰しもが目を見開いた。
班の長であるリヴァイならば、この場を諫めるべくエレンを説得し止めてくれるものだとばかり思っていたのだった。
ペトラが驚愕してリヴァイに食い下がる。
しかしリヴァイは顔色を変えることもなく、淡々と言った。
「俺にはわかる。こいつは本物の化け物だ、巨人の力とは無関係にな。どんなに力で押さえようとも、どんな檻に閉じ込めようとも、こいつの意識を服従させることは、誰にもできない───」
リヴァイの脳裏にふと、審議所の地下牢で初めてエレンとの会合を果たした時のことが蘇った。
強い瞳だった。
烈火を宿した瞳にリヴァイは魅せられ、エレンに対する一切の責任を受け持つことを決めたのだった。
エレンの瞳の深淵を覗いた時、一種の畏怖のようなものを抱いたのも確かだった。
まだ年端もいかぬ、ひょろひょろとした新兵ごときに何故、と自問したが、到底言葉によって説明できるものではなかった。
ただ面白いと思った。
そして壁の中に囚われた人類の存亡を、エルヴィンとともにこいつに賭けてやろうじゃないかと、一世一代の大博打に出たのであった。
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