第5章 遺していくもの【エルヴィン 】
会いたい人が来てくれる人とは限らない。
それを知っているからこそ、控えめなノックにドアを開け、隙間風の吹き込みと共に靡く金髪が見えた瞬間息が止まりそうだった。
「エルヴィン・・」
役職ではなく昔のように名前のみで呼び合うこの時間が大好きだった。だから過酷な調査兵団での仕事にも耐えられたのかもしれない。
「すまない忙しいところ」
荷造りをしかけては止まり、茫然とする時間を過ごしていたであろう部屋の散らかり具合だ。部屋の主の目は真っ赤に腫れあがっている。
「すまない」
何に対しての謝罪なのか分からないが、喧嘩をしにやってきた訳ではないようだ。その証拠にいつものように左手で抱き寄せられている。ただ、今日に限っては少しだけ、僅かに心臓の鼓動が早いのだ。
「どうしたの?」
叱られた子犬のような目をする時は、団長ではなくただのエルヴィン・スミスに戻った時。私に合わせて少し屈んだ身体を優しく抱きしめ金髪を撫でた。
「片腕では抱きしめながら涙を拭ってあげられない」
拭う代わりに瞼へと注がれたキスは、涙を止めるのに十分だった。
「辞令撤回する気になった?」
理由もなく出された辞令にまだ納得はしていないのだ。
「すまない」
「何しにここへ?」
明日は奪還作戦。兵士達の気持ちは昂り、団長として決して暇ではないはず。
「エルヴィン・スミスとしてお願いにきた」
左胸のポケットから取り出された小さな箱。ベロワ生地で出来たソレを片手で器用に開ける。
「受け取ってくれないか」
弱い蝋燭の光を受けて輝く石の指輪は、女ならば誰もが憧れるものだ。勿論自分だって憧れていたが、いつしか自分には関係ないものだと思うようになっていた。