第5章 遺していくもの【エルヴィン 】
日の傾きが団長室に影を落とした。
本来ならばこの場で語られる内容は来期の予算であったが、提示された書類に記載されていたのは来期の予算ではなく、異動命令であったという事が殊更雰囲気を暗くする。
「私たち、全員ですか?」
自分を含めた部下2名に下された命は来月から“憲兵団直属の料理人”という辞令。
調査兵団団長であるエルヴィン・スミスが提示する予算と、調理部の必要経費はいつもかみ合わない。どこを削るかの言い争いを毎期エルヴィンと繰り広げる姿を見て部下は──まるで夫婦喧嘩みたいですね──そうよく笑っていた。
「君達は来月から憲兵団にて働いてもらう。待遇は悪くならないだろう?」
──断る理由はないじゃないか──彼の碧眼は言っている。待遇を考えるならば初めから調査兵団の料理人なんて志願しないだろう。私だけではない、他の2人だってそうだ。
「何をいきなり・・。理由をお伺いしたいですね」
「質問は許されない。君たちには黙ってこの辞令を受け取ってほしい」
目の前の彼は静かな口調でこちらの言葉を断ち切った。左右の部下の顔をみると、困惑しているが判断を私に委ねる目を向ける。
「少し横暴ではありませんか?場所が変われば生活も・・」
「気持ちはわかるが・・。受け取ってくれないか?」
場所が変われば生活も変わる、場所も生活も変われば貴方に会える時間はどれくらい・・。最後は口に出すつもりはなかったけれど、伝わってはいるのだろう。その証拠に彼の長い脚が私の両足を絡めとった。予算に関してのやり取りは机上でのみ行われていたわけではなかった。ある日を境に“ここで引き下がれ”の意味を込めてか戯れか、彼が足を絡めてくるようになった。
──君は団長相手でも怖いもの知らずだな──苦笑いをしながら初めて戯れてきた時はまだ分隊長だった。それからの長い月日をここで彼と共にしたのだから、簡単に引き下がれるわけがない。
「嫌だと言ったら?ここに残ると言ったら?」
溜息と共に左側にあるペンを手にして私に差し出した。
「言い方が悪かったな。命令だ、受け取りなさい」