第90章 蠢く脅威<参>
吉原の数ある店の中の一つ、京極屋。そこには【蕨姫】という花魁がいた。彼女はときと屋の鯉夏花魁に並ぶほどの花形で、その美しさに多くの人間は魅了され、金品を貢いだ。
しかしこの花魁は、とても美しいが恐ろしい程性悪で、癪に障ると暴力やいじめで当たり散らした。そのため店では怪我人、足抜け、自殺者が後を絶たず、魅了されたものと同じくらい、恐れられていた。
実はこの花魁には秘密があった。ある者は幼い頃と中年の頃にそのような花魁達を見たといった。
彼女たちは【姫】という名を好んで使い、気に喰わないことがあると首を傾けて睨みつけてくるという、独特の癖があった。
そして京極屋の蕨姫も彼女たちと同じ、その癖があった。
それを知った京極屋の楼主の妻は、そのまま高所から落ちて死んだ。正体を現した蕨姫花魁によって。
彼女の正体は、この界隈を餌場とする鬼であり、名を【堕姫(だき)】と言った。その両目には【上弦・陸】と刻まれており、十二鬼月の一人である。
この鬼は他の鬼とは少し異なり、美しい人間のみを貪り食うこだわりがあった。そのため、年老いた者や彼女が醜いと感じた者は喰われず、更に惨い殺され方をする。
善逸は偶然とはいえ正体を知ってしまい、その手によって囚われてしまっていた。
そしてその夜。
堕姫は音を立てずに鯉夏の部屋に忍び込んだ。目的は一つ。鯉夏花魁を喰うためだ。
部屋には、鯉夏の好む香の香りが漂っている。
その香りの強さに堕姫は少しばかり顔をしかめたが、一歩、また一歩と鯉夏の背中に忍び寄った。
「何か忘れもの?」
背後の気配に気づいた鯉夏が口を開くと、堕姫は舌なめずりをしながら答えた。
「そうよ。忘れないうちに喰っておかなきゃ。アンタは今夜までしかいないから、ねえ、鯉夏?」
地を這うような恐ろしい声でそう言うと、鯉夏は振り返ることもせず静かに口を開いた。
「そう・・・」
鯉夏はそれだけを言うと、すっと音もなく立ち上がった。その雰囲気に堕姫は違和感を覚え、思わず一歩後ずさった。
「奇遇ね、私もよ。忘れないうちにあなたを――」
――ぶっ潰しておこうと思って
鯉夏の異様な雰囲気を感じ取り、堕姫は瞬時に腰の帯を鯉夏に向かって振り上げた。が、その瞬間。
爆発的な空気の流れが起き、部屋は轟音と粉塵に包まれた。