第83章 幕間その伍:紡ぎ歌(栗花落カナヲ編)
「あ、あの」
「え?な、なに?」
思いがけない言葉に驚いて顔を向けると、汐は思わず目を見開いた。カナヲが一本のラムネを汐に向かって差し出していたのだ。
思わず志向が停止する汐に、カナヲは緊張を宿した眼を向けながら言った。
「前に、みんなで宴をしたときに飲み物をくれたでしょ?その、お返し。何かをされたら返すものだって、アオイが言ってたから・・・」
「カナヲ、あんた・・・」
以前のカナヲだったら絶対にありえなかった行動に、汐は驚きつつも嬉しくなり、差し出されたラムネを受け取った。
「ありがとう、カナヲ」
満面の笑みで返せば、カナヲの瞳が大きく揺れた。それから少しだけ顔を伏せた後、再びおずおずと口を開いた。
「あの、もう一つお願いがあるの。その、汐に」
「あたしに?え、っていうか、今名前・・・」
「あの時に歌った歌を、聴きたいの。何故かはわからないけれど、不思議な気持ちになれたから・・・」
心なしかカナヲの頬が少し桃色に染まり、もじもじと身体を揺らしている。その仕草に汐の胸の中に温かいものがこみ上げてきた。
「いいわよ。ラムネのお礼にいくらでも聴かせてあげる!」
汐は二つ返事で答えると、雨空に向かって口を開いた。小さなものが跳ねまわるような可愛らしい歌声が、雨音に交じり響き渡った。
その旋律に合わせるようにカナヲの身体が、足が自然に揺れる。
そんな二人の背中を、しのぶと汐のことが気になってついてきた甘露寺の二人が優しく見守り、雨が止むまで小さな音楽会はつづけられたのだった。
それ以来、カナヲは汐の良き友人となった。が、汐はまだ知らなかった。
彼女が友人であると共に、恋敵となることにも。