第5章 見返りはパン以外で
「あ、わたしの家、そこのマンションです。」
ムギの家は駅から15分ほどの距離にある、築浅賃貸マンションである。
間取りは広めの1LDKで、学生のひとり暮らしにしては少々贅沢だ。
マンションの下でタクシーは停まり、自動で開かれたドアから降りる。
そのままローはとんぼ返りするのかと思われたが、なぜかタクシーを待たせて一緒になって降りてきた。
「何階だ? 荷物を寄越せ、部屋まで送る。」
「三階ですけど、さすがにここまでで大丈夫です。おかげさまで具合もすっかりよくなりました。」
「そうか。くれはの薬はよく効くが、油断はするなよ。治ったと思って調子に乗ると、すぐにぶり返すからな。」
「わ、わかりました。」
すでに調子に乗って明日のバイトのことを考えていたムギは、ぎくりと考えを改める。
「今日は本当にお世話になりました。わたしが行き倒れなかったのは、えぇっと……、トラファルガー先輩のおかげです。」
ムギがローの名前を呼んだのは、実はこれが初めてである。
心の中では“ロー先輩”と呼んでいたものの、タクシー内での会話を思い出したムギは、馴れ馴れしくないように名字で彼を呼んだ。
精一杯の配慮だったのに、急に不機嫌になったローは低い声で問い返す。
「なぜ俺をそんな名で呼ぶ?」
「え、なぜって……。」
「俺はお前の先輩じゃねェ。」
「まあ、そうですけど。」
ローは一学年上だけど、他校の生徒なので実際はムギの先輩ではない。
「じゃあ、トラファルガーさん。」
「……ずいぶん、他人行儀な呼び方だな。」
「えぇー……。」
面倒くさい。
なら、なんと呼ばれたいのかと視線で訴えれば、ローは至極当然の如く名前を口にする。
「ローと呼べ。」
「え、無理です。」
彼の提案を、ムギは至極当然に断った。