第5章 見返りはパン以外で
ムギを起こさないように、耳に非接触式の体温計を近づけ、スイッチを押した。
(38.2度、か。まずまずだな……。)
もうしばらくしたら寝汗を掻いて解熱するだろうから、水分を用意した方がいい。
キッチンからミネラルウォーターを持ってこようと立ち上がり、ふと不思議な気持ちでムギがいる光景を眺めた。
自分のベッドで、ムギが寝ている。
100%プライベートな空間にコラソンでもなく、親友三人でもなく、ムギがいるのは本当に不思議で非現実的だった。
もし、ローのベッドを使用しているのが他の女だったなら、不快を通り越して寒気がする。
シーツや枕を洗濯どころか買い直したくなるほど気色が悪いのに、ムギならば平気なのはなぜなのだろう。
「ん……。」
息苦しそうにムギが身動ぎ、我に返った。
額に滲んだ汗を、真新しいタオルで拭ってやる。
(そういえば、こいつの親はどうしているんだ?)
家にはしばらく誰も帰ってこないと言っていたが、ローのように仕事が忙しい両親なのだろうか。
(考えてみりゃ、こいつのことをなにも知らねェな。)
自己紹介をしたのも、連絡先を交換したのも昨日が初めて。
看病を理由に家へ連れ込んだ理由は、8割くらいは純粋に心配だったから。
しかし、残りの2割はムギとの距離を縮めたかったからにほかならず、ローは己の行動の異常さを自覚していた。
自覚していても、他に方法なんか知らない。
今まで仲良くもない異性と距離を詰めたいと思ったことがなかったから、行動や理由に違和感を覚えていても、強引な手法に及ぶしかなかった。
奇しくもローには、それを可能とする行動力と手腕が備わっていたのだ。