第5章 見返りはパン以外で
(……ま、いっか。もう考えるの、めんどくさい。)
ぎろりとローに睨まれたムギは、考え事を早々に放棄した。
今日はあまりにも驚くことが多すぎて、身体も頭も疲弊している。
どうせ帰ろうとしても一筋縄ではいかないのだろうし、そこまで言うのなら、こちらも覚悟を決めようじゃないか。
「わかりました。その代わり、枕にヨダレ垂らしても責任は取りませんよ。」
「んなこと気にするくらいなら、最初からベッドで寝ろとか言うわけねェだろ。」
「意外ですね、潔癖症っぽいのに。」
「……お前は意外と可愛くねェな。」
意外もなにも、ムギは元から可愛くない。
ローはバラティエで働くムギしか知らないから、なおさらそう思うのだろう。
「じゃあ、帰っていいですか?」
「早く寝ろ。」
悪足掻きをしても無駄だと悟ったので、ムギは素直にベッドに入った。
自分の家とは違う柔軟剤の匂いが、意識しないようにしているムギの心を騒がせる。
「布団はしっかり掛けろ。今は暑くても、熱が下がれば寒くなる。」
「……面倒見がいいですね。兄弟でもいるんですか?」
「妹がひとりいるが、両親と一緒に海外だ。」
「へえ。」
なら、この家には誰と住んでいるのだろう。
もしかしたら、彼もムギと同じくひとり暮らしなのかとも考えたが、たぶん違う。
だって、この家にはムギが知る懐かしい温かみが溢れていて、心を落ち着かせてくれるから。
懐かしさに背を押されるようにして目蓋を閉じたら、自分でもびっくりするくらい、すとんと眠りに落ちた。
汗で額に張りついた前髪を優しくそっと払ってくれた指の感触は、きっと微睡み始めたムギが見た夢なのだろう。