第5章 見返りはパン以外で
男の部屋に入った経験は、未だかつてない。
経験はなくても、漫画で得た知識を使うのであれば、この状況は、その……。
「えっとですね、わたし、そういう趣味はないっていうか……。」
「あ? どういう趣味だ。」
聞き返されると困る。
でも、ベッドがある部屋で男と二人きりな状況で、警戒するなという方が無理だ。
すると、急に挙動不審になったムギの胸中を察し、ローが呆れ顔で額を小突いた。
「アホか、病人を襲うほど飢えちゃいねェ。いいから寝とけ。」
そう言うなりローは部屋を出て行ったが、閉まったドアを見つめてムギは思う。
お前こそアホか、と。
寝とけ? 大魔神様の部屋で?
男性の部屋にいるのだって神経がすり減りそうなのに、ローの自室で横になったら、いろんな意味で心臓が爆発しそうだ。
乙女心を舐めるなと叫びたかったが、高熱に負けたムギは力なく床にへたり込んでしまった。
(ボニーに連絡してみようか……。)
珍しく学校を休んだムギを心配して、ボニーからは何度かメールが来ていた。
最初は合コンでなにかあったのかという心配から、そうではないと説明したあとは純粋に体調の心配を。
ボニーに今の状況を説明したら、たぶんすっ飛んできてくれる。
……が、その場合は、武器を持ったボニーが暴れる可能性を考えなくてはいけない。
意外に親友想いな彼女は、力が強く喧嘩っ早い。
(……最終手段にしよう。)
ローの家がめちゃくちゃになったら大変だ。
一応手もとにケータイを出しておいて、己の膝に額を押しつけた。
頭が痛い。
目眩を起こしているのは、半分はローのせいだけど、もう半分は発熱のせいだ。
(そうだ、病院で出してもらった薬……。)
せっかくお金を払って診察してもらったのに、薬を飲まないと意味がない。
バッグから薬が入った袋を取り出し、注意事項をよく読んだ。
朝昼晩、一日三回、食後に服用すること。
(……食後。)
残念ながら、ムギの胃の中は空っぽだ。
今日はパンを少し齧った程度で、栄養があるものを食べていない。
(そういえば、だから外に出たんだった。)
今さら買い物に行く気にもなれず、薬を手にがっくりと項垂れた時、部屋のドアがガチャリと開いた。