第5章 見返りはパン以外で
ムギにとってタクシーとは、この世で最も贅沢な乗り物だ。
新幹線や飛行機、クルーザーなど、世の中にはもっと高級な乗り物がたくさんあるけれど、別次元すぎてファンタジーだと思っている。
そういう意味では、頑張れば手を出せるタクシーこそが最上級の乗り物であった。
「え、なんでタクシー停めたんですか?」
「乗るためだ。」
薄々予感はしていたものの、ローの発言を聞いたムギはぎょっと背筋を反らして抵抗した。
「わたしは乗りませんよ? どうぞ、おひとりで!」
「うるせェ、さっさと乗れ。」
「ちょ、ちょっと、本気でやめてください。叫びますよ?」
「好きにしろ。その代わり、中で叫べよ?」
とんと背中を押されたムギは、抵抗空しく後部座席に倒れ込んだ。
元から体格差的に勝ち目はない。
「くれは医院まで。」
ローが慣れた様子で行き先を告げると、タクシーは無情にも走り出す。
(あー、タクシーっていくらなんだろ。初乗り410円って書いてあるけど、初乗りってなに? 初めての人は410円ですって意味じゃないよね、きっと。)
未知なる乗り物に乗ったムギは、先ほどまでと打って変わって静かだった。
単純に運賃を考えて絶望していただけなのだが、体調が悪化したと勘違いしたローはムギを心配して顔を覗き込んでくる。
「どうした、気分が悪いのか?」
「ええ、悪いです、気分が。料金メーターが上がっていくと、心臓が……ああ、すりおろされそう……。」
「……まだ元気そうだな。」
昨日の合コンでムギのお金愛を知ったローは、馬鹿らしい発言を聞いても引きはしない。
料金メーターにばかりに意識が向かっていたムギは、自分がどこへ連れていかれるのかを聞き落としたまま、タクシーは目的地へと到着した。
タクシーの運送料は、ムギが思っていたよりもずっと安かった。
1000円にも満たない料金を請求され、ムギは鞄から財布を出そうとしたが、その前にローが支払いを済ませてしまう。
「あ、お金……。」
「いいから降りろ。」
急かされて下車したムギは、料金を10円単位まで間違いなく記憶する。
勝手に乗せられたけれど、たぶんここはムギのために連れてこられた場所。