第3章 ご一緒にパンはいかがですか?
結局、ローはコーヒーだけで一時間半ほどバラティエに居座った。
ローのようにコーヒーだけで何時間も粘る客は多くはないが、たまに来店する。
夏場の冷房目当ての貧乏大学生や、お喋りの場として使う主婦。
始めのうちは「パン屋なのにいいの?」と思ったムギではあるが、店長であるゼフが気にしていないのでムギも気にしないことにした。
ゼフはパンだけでなく、バラティエそのものを愛しており、店の雰囲気を気に入って滞在する客には、パンを買っていなくても十分すぎる対価を貰っているのだと以前言っていた。
男前すぎる、結婚したい。
やや本気めの冗談はさておき、ムギが着替えを済ませて店を出る頃には、ローも席を立っていた。
バラティエから駅までは歩いて10分。
あまり歩くのが早くないムギは、なるべく速足になるよう意識して駅に向かった。
ムギが利用する普通電車は本数が少なく、一度乗り過ごすと15分待たねばならないのだ。
混雑を避けるためにあえてエスカレーターは使わず、階段を上ってホームまで行くと、連日に続いてローが本を片手に電車を待っていた。
(なんか……、気まずいな。)
どことなく居心地の悪さを覚えて友人の姿を探したが、約束をしているわけでもない友人は今日に限って一本先か後の電車を利用したらしい。
いつもの定位置から離れるのも不自然な気がして、ムギは黙ってスクールバッグからベーコンエピを取り出した。
ハード系のパンはいい。
噛むことに夢中になっていられる。
でもちょっと気をつけないと、尖ったパンの表皮で口の中をさっくり切る危険があるから玉に瑕。
顎の力を酷使して噛みしめていたら、ローが乗る特急電車がやってきて、気まずさの原因である彼が乗り込んだ。
電車が動き出すと、ムギの視線はガラスの向こう側に釘付けになる。
気まずさを覚えるくらいなら、姿を追わなければいいのに。
すれ違いざまの数秒間、やっぱりローと目が合った。
互いに声を発するわけでもなく、ただ見つめ合った数秒間。
いつもと同じ。
でも、いつもとは違って、見つめ合ったローの瞳からは険しさが消えていたのだった。