第6章 パン好き女子のご家庭事情
ムギとアブサロムは、長らく顔を合わせていなかった。
幼少期の印象なんて当てにならず、再会した時のムギたちは、ほとんど初対面に近い。
「アブ兄はわたしを好きだって言うけど、わたしのどこが好きなの?」
「そ、それは……、優しくて、俺を受け入れてくれるところが……!」
「違うよ、アブ兄。わたしは優しくなんてないし、アブ兄を受け入れてもない。だって、受け入れてほしかったのは、わたしの方だったから。」
ムギがアブサロムに優しくしたのは、毎日飽きもせずに話し掛けたのは、ただ家族として受け入れてほしかっただけ。
途中からモリア一家に割り込んだ自分を、どうにか仲間に入れてほしかっただけ。
思惑や見返りを求める善意を、人は優しさとは呼ばない。
「ねえ、アブ兄。アブ兄は、わたしのなにを知ってるの? 好きな食べ物も、趣味も、なにも知らないでしょう? わたしも、アブ兄のことを知らないよ。」
彼は、幻想を抱いたのだ。
こういう女性がいてほしい、こういう女性であってほしいという幻想をムギに押しつけ、恋をした。
でもそれは、本当の恋とは違う。
「わたし、アブ兄が考えてるような子じゃないよ。料理は下手だし、バカだし、人に理解されない趣味もある。あと、ごめん、本当は金髪とか格好いいって思ってない。」
「な……ッ」
最後の一言に、アブサロムは少なからずショックを受けていた。
もっと早くに打ち明けていたら、ここまで拗れずに済んだのに。
「アブ兄、わたしのどこが好き?」
もう一度そう尋ねたら、アブサロムは完全に押し黙った。
それを答えだと受け取って、ムギはもう、なにも尋ねなかった。
アブサロムのことは、まだ怖い。
でも、彼が目を覚ましてくれたのだと信じている。
「……通信制の高校に編入したんだってね。前を向けるようになって、よかった。」
「……。」
アブサロムは、なにも言わない。
だから、ムギも口を閉ざした。
「……もういいだろ。行くぞ。」
ローに促され、歩みを進める。
前を向くのは、ムギも同じ。
「………本当の優しさじゃなくても、俺は救われた。俺の恋は、本物だった。」
静かに呟かれた独白は、ムギの耳には届かない。
アブサロムの恋は、夜の闇に静かに飲み込まれていった。