第6章 パン好き女子のご家庭事情
ムギには、知らないことがある。
例えば、仮初の彼氏がとんでもなく凶暴だってこと。
凶暴で嫉妬深い彼が、過去にムギを害した男をむざむざ放っておくはずがない。
ローがムギと付き合って、まず最初に企てたのは、ムギとの関係を噂で広めること。
続いて、噂を真実だと証明するために、恋人らしく振舞うこと。
女はお喋りな生き物だ。
女子高生は特にその兆候が顕著で、噂は瞬く間に広がる。
そうして、あの男は動き出した。
他人からの視線に敏感なローは、アブサロムが遠くから自分たちの様子を窺っていたのを知っていたし、噂が耳に入ったのだろう、ローに向ける視線に敵意が混じっているのにも気がついていた。
好きな女に男の陰があったならば、男の素性を探りたくなるものだろう。
予想どおり、アブサロムの独特な視線は、ムギと別れたあともローの背中に纏わりつく。
だから、アブサロムを捕まえるのは簡単だった。
素人の尾行ほど、裏をかくのは容易になる。
あとをつけていると思い込んでいるアブサロムの背後を取り、人気のない路地で彼の身体を電柱に押しつける。
『よォ、なんの用だ、ストーカー野郎。』
『な、なんのことだッ。お、俺は別に……ッ』
『惚けんなよ、お前がムギの従兄だってネタは上がってるぞ。身内のよしみだ、忠告だけで勘弁してやる。ムギは俺の女だ、二度と近寄るんじゃねェ……。』
『な……ッ、嘘だ!!』
嘘だと叫びながらも、アブサロムの顔には焦りが浮かんでいる。
噂を聞き、自分の目で真実を確かめた証拠。
『お前がどう思おうと、ムギは俺のもんなんだよ。その様子じゃ、見たんだろ? あいつだって、俺を男として見てる。』
自信満々に言いながら、滑稽だなと思った。
ムギが自分に恋していないのは、傍にいるローが一番よく知っている。
ふとした時に彼女が頬を染めるのは、単純に男に慣れていないだけ。
それでも、言ったもん勝ちである。
はったりを貫き、不敵な笑みを浮かべれば、アブサロムの顔が絶望に満ちた。
それでいい。
挫けて嘆いて、二度とムギの前に現れるな。