第6章 パン好き女子のご家庭事情
「ムギ、なんで避けた?」
仕事を終えてバラティエから出てきたムギを捕まえ、開口一番にローがした質問はそれだった。
逆に問わせていただきたい。
なんで避けないと思ったんでしょうか。
「おい、聞いてんのか。」
「……聞いてます。」
ムギの神経は図太いけれど、ローの神経はたぶん無いのだ。
つまりは、無神経。
どんな事情があったにせよ、仮にもキスをした男女が翌日に気まずさも覚えず普通に過ごせるのであれば、それはもう、女と意識されていないのだと考えた方が正しい。
(なるほど、わたしは女だと思われていないのか。)
いや、しかし、そうなると昨日のキスにはなんの利点があるのだろう。
「……おい、ムギ。無視すんじゃねェよ。」
何度か喋り掛けられていたらしく、悪気なく無視をしてしまったムギに腹を立て、ローが片手でムギの頬を掴み、無理やり自分の方を向かせた。
大きな手のひらは、昨日ムギの後頭部を掴んだもの。
鋭い眼光を放つ目は、昨日ムギを射抜いて離さなかったもの。
昨日、ムギは、ローと……。
「だぁーーッ!!」
頭の血管がはち切れそうになったムギは、パニックを起こしてスクールバッグでローを殴った。
「い…ってェな……。なにしやがる。」
またもやローはもう片方の手で攻撃を防いだけれど、そんなことはどうでもよく。
「シュトーレン、シュトロイゼルクーヘン、ベルリーナ・プファンクーヘン!」
「……なんの呪文だ。」
「ああ、パンの呪文が効かない! ダメです、もう限界! 今日はわたし、ひとりで行きたい気分なんで! それじゃ!」
一方的に別れを告げ、ムギは走り出した。
どうか追いかけてきませんようにと願いながら、最寄り駅を無視して隣の駅まで走る走る。
ローと一緒に通学するなんて拷問だ。
怒ったらいいのか、泣いたらいいのか、喜んだらいいのかわからない。
例えローにとって意味もない行為だったのだとしても、ムギには意味があった。
だけどその意味を、知りたくはない。
だから走る。
無我夢中で走る。
そしてムギは、遅刻した。