第6章 パン好き女子のご家庭事情
恋愛に対し、低姿勢を維持するムギであっても、それなりに夢はある。
例えばファーストキス。
夜景が綺麗なレストランや観覧車のてっぺん……なんて贅沢は言わないが、いつか自分が好きになり、好きになってくれた人と思い出を残したい。
こんなムギを好きになってくれる人は、どんな人だろう。
かつて想いを寄せてくれた人は、容姿ばかりを気にして勘違いの恋に走った人だったけれど、今度はムギを理解して、良い部分も悪い部分も受け止めてくれる人がいい。
ムギのことを好きになってくれる人。
それは決して、身長も頭脳も顔も、すべてが完璧なハイスペック男子ではないはずだ。
「……今、なに、しました?」
唇に残る温かな感触。
触れたものの温かさがやけに鮮明で、夢であるはずがないとムギに告げていた。
「キスをした。」
悪びれもせず堂々と答えた彼に対して、怒りはない。
それよりも、「なぜ?」という気持ちの方が強くて。
「誕生日祝い、なんでもいいと言っただろ。」
「言いましたけど……、でも……。」
いよいよ混乱してくる。
誕生日プレゼントにキスを選ぶローも、ムギのキスがプレゼントの価値があるのかも、すべてが理解できない。
「嫌だったのか?」
「え……。」
尋ねられて、頬を叩かれたような衝撃を受ける。
好きでもなく、付き合っているわけでもなく、好かれてもいない人。
そんな人にキスをされたら、絶対に嫌なはずなのに。
愕然としたムギをどう思ったのか、ローは答えを待たなかった。
「……行けよ。早く帰んねェとストーカー野郎が来るぞ。」
「……。」
なにも、答えられなかった。
本当はローにも聞かなければならないことがあったのに、考えるのを放棄するように、ムギは黙って頷いた。
マンションに向かって歩き出すと、背中にローの視線が刺さった。
でも、振り向く勇気はない。
激しく乱れる感情の正体を、ムギだって知らないのだから。