第6章 パン好き女子のご家庭事情
ムギの神経は図太い。
ローのベッドを借りた日でさえ、ぬくぬくと眠ってしまったムギは、例によって昨夜もつつがなく眠りに落ちた。
ただ、言うなれば、昨日は余計なことをなにひとつ考えたくなくて、夜ごはんも食べずに眠ったのだが。
「……。」
翌日の朝、寝癖がついた小麦色の髪をそのままに、起き抜けの頭で考えた。
(誕生日プレゼント、キスで済むなら……ラッキーだったんじゃ……?)
正直、なぜローがあんな行動を取ったのか、今でもわからない。
ムギのキスに誕生日プレゼントになるほどの価値があるとは思えないし、本当にそれでよかったのかも不明。
もしかしたら、ムギのお財布事情を考慮したローの新しい気遣いなのかもしれない。
乙女のファーストキスはかけがえのないものだけど、男にとってはそれほど重要な行為ではないのかも。
でも、それにしたって、なにも唇にしなくてもいいだろう。
欧米人だって、挨拶のキスは頬にするぞ。
「……。」
むにっと自分の唇に触れてみた。
昨夜触れたローの唇は、指なんかよりも遥かに柔らかくて……。
「だぁーーッ!!」
思い出した途端、全身を燃えるような羞恥が駆け巡り、枕を引っ掴んで壁にぶん投げた。
(思い出すな、思い出すな、思い出すなッ!!)
あの感触を、あの温かさを、そしてローの表情を。
思い出したら最後、心臓が早鐘を打って破裂してしまう。
すーはーと大きな深呼吸を繰り返し、神妙な面持ちのままリビングへ向かった。
ちょっとでもローのことを考えると死にそうになるから、できるだけ心を無に保ったまま、自然解凍しておいた食パンにポテトサラダを挟んでホットサンドメーカーに突っ込んだ。
じりじり焼けるパンの匂いを嗅ぎながら考えた。
ムギはこれからバラティエに向かう。
今朝もまた、コーヒーを飲みにローが来るのだろうか。
店に来たら、どんな顔をして会えばいいのだろう。
普通じゃいられないかもしれない。
だって、ムギは昨日ローと……。
「だぁーーッ!!」
キッチンで無意味に大声を上げ、まだ焼きの甘いパンをホットサンドメーカーから取り出した。
無心でかぶりつき、もぐもぐ咀嚼する。
心が乱れた時は、パンに縋る。
パンはいつでも、ムギの心を落ち着かせてくれるのだ。